◆いつか立ち上がると
信じて

◆誰かの役に立てることが心の癒し
◆冬の暮らしを守る支援
◆2千2百万人の悲しみ
◆戦闘の始まり
◆戦闘に巻き込まれた
?!

◆「避難する」ということ
◆避難する人々の上に
降る悲しい雨

◆支援現場での葛藤と
選択

◆終わりなき苦悩。
漂流する難民・避難民

◆正確な情報とは?
◆働く喜び!
◆贈る喜び
◆習うより慣れろ
◆道なき道をゆく人びと
◆終わらない戦争
◆小さいけれど大切な
こと

◆お節介のすすめ
◆思い浮かぶ豊かな自然と人々の顔
◆柔らかい会議
◆何を基準に募金を
しますか?

◆「おはなし隊」が終わります
◆平和を構築する
ジグソーパズル
◆JENとわたし
◆変わらず生き続けている理念

◆プロフィール

わたしと仕事

JENとわたし 世界中の笑顔を求めて

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パキスタン地震の被災者とともに

私が初めて就職した頃は、まだ『終身雇用制』なるものがそれなりに機能していたから、転職には、マイナスのイメージがあった。根性がないとか我慢が足りないとか飽きっぽいとか『普通の人が備えているべき資質が欠けているから』といった後ろめたさを抱えながら、私は6回仕事を変った。長くて4年、短いところは1ヶ月で退職した。
そんな私がJENに来てから13年半が経過した。JENで働き始めたきっかけを人から聞かれることがよくあるが、私にとっては、なぜ続けているかの方が、大切なことなのだ。

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「スーダンまるかじりイベント」で
アフリカの民族衣装に身を包む

旧ユーゴで、知識も経験もなくこの仕事を任せてもらったとき、同僚たちの中にも熟練者がいなくて、全ての仕事は体当たりでぶつかった。今、振り返って支援を受ける側の人々のことを考えると、本当に申し訳ない。支援の質を確保するために、熟練者と初心者とのチームで取り組むべきだったと思う。

現場で出会ったのは、食糧補給が途絶えて乳が出ず、粉ミルクを探して支援団体を駆けずり回って子どもを育て、連日の砲撃を地下室でしのぎ、命からがら避難してきた人々だった。それでも、配給された米を煎って挽いてコーヒーのつもりで飲み、そこら中にあるものを裂いて包帯の代わりにするという異常事態の中、何とか『普通』であると装って冗談を言いながら、必死で日々を生きていた。
私でなくても誰だって、この人たちを前にしたら、できるかぎり役に立ちたいと思ったことだろう。ど素人の私も目の前にいる人たちのために、無我夢中で働いた。

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アフガニスタン現地のスタッフと
国際スタッフ全員で昼ごはん

初心者ばかりではあったが、力を併せて事業が軌道に乗ってくると、少しずつ周囲のことが気になってきた。避難先での生活は本当に厳しい。ここに避難してくるなんて、向こうの生活は一体どれほどひどいのか。毎日各所で、戦闘があり被害が出たという話を聞くにつけ、避難できずにいる人々の生活に思いをはせる。そこにいる人々のために何かをしたい、そして、悲しい思いをする人をこれ以上増やしたくない、と強く思う様になった。悲しい人を生み出す紛争は、どうして起きたのか、本当に止める方法はないのかを考えると、自分にも出来ることがあったのではないかと考え始めた。
紛争は突然起きる訳ではない。数限りなく多くの人が『自分を優先した』選択の集約地点だ。飛び地となって食料もなく、雪の山道を夜間に8時間も歩いて買出しに行く人々がいることも知らずに、のほほんと日々を過ごしていた自分に気づいた。知っていれば誰かに伝えられたのではないか、誰かに伝えられていれば、そのことで行動が起こり、何かが変ったのではないか。とても理想主義的な発想ではあるけれど、一つ明らかなことは、この戦争を止めるために、その時点で私は、何もしていなかったということだ。

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中越沖地震で被災された方々との交流会

こうして世界の遠かった出来事が『自分の問題』になってみると、全てのことが看過できなくなった。旱魃、津波、地震、貧困、地球温暖化、過疎と過密、自殺、テロ……悲しい人を生み出すことは幾らでもある。JENでできることは小さなことかもしれない。小さくてもいい、JENで働くことを通してできることから取り組み、笑顔を取り戻す人を少しでも増やしたい。その想いが今日まで私を続けさせている。

 

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