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中越沖地震の支援活動が、10月14日で終わる。2007年7月16日の地震に呼応して、19日に柏崎市旧西山町入りし、それから3ヶ月間続けてきた。JENにしては短期間だが、単純な事業ではなかった。

中越沖地震の支援に携わった多くの人と同様、JENの調査団もニーズの確認に苦労した。被災者の方々が要望を口にしないからだ。
厳しい自然の中で農業に従事してきた人々は、自然に合わせて生きることが習慣となっているので今回の地震もあるがままに受け止めようとしている、NGOやボランティアに対する警戒心があるから支援を求めない、自分の苦しみについてよそ者である我々に伝えたくない、などの様々な理由があると聞いた。
同時に私たちは『支援のプロ』として、災害時のニーズをそれなりに知っている。普段通りであれば、子ども、高齢者、障がい者、女性などの人々のニーズは高い。高齢者率が40%を越えているという柏崎市の旧西山町で、高齢者支援のニーズがあることは確実だった。だが、勝手に推測したニーズを元に事業を計画することは出来ない。
そこで、3つの効果を求めて「おはなし隊」という事業を作り上げた。一つは、必要とされる作業を手伝うこと、二つ目は、作業と言う交流を通して心を開いてもらい、被災者のニーズを聞き出すこと、そして三つ目は、震災で落ち込んでいる被災者の方々に元気を取り戻してもらい、自らの手で復興を推し進めてもらうことだ。一人暮らしで高齢の被災者の方々は、途方に暮れていた。既に独立した子どもたちも手伝いに来てくれるが、自身も被災している子どもたちに迷惑をかけたくない。とはいえ自分一人ではとても片付けられない。広がってゆく諦めの気持ちを、ボランティアが手伝うことで、前向きな気持ちに転化してもらいたかった。震災は過疎化に拍車をかけるからだ。
全国から集まったボランティアは、崩れた壁の片付けと廃棄、地割れの埋め戻し、土砂で埋まった水路の掘り直し、障子の貼りかえなど様々な作業をどんどんこなしてゆく。震災直後の被災者の家には仕事がいくらでもあるので、「おはなし隊」と言っても主体は作業だ。作業の間中、明るい話し声と笑いが絶えない。労を惜しまず共に働くことで、被災者の心のバリアが取り除かれてゆく。すると「昼間の地震だから全部が見えてしまったので、恐くてたまらない。花びらが散るように、屋根から瓦が飛び散った」と被災体験を語ってくれる。話すことで、わずかずつ恐怖から開放されてゆく。恐怖を克服し、片づけが進むと、将来に希望を見出せる。
この希望がさらに膨らんでいけるように、『先輩』の十日町市池谷集落と旧西山町の人々を引き合わせることにした。池谷集落は3年前の新潟中越地震で被災して、JENが継続的に支援してきた地域だ。池谷集落の人々は、ようやく復興を遂げて収穫した魚沼産コシヒカリの新米を持参して、旧西山町を盛り立てたいと言っている。過去3年間の彼らの復興への営みの話を聞けば、旧西山町の人々も勇気付けられるに違いない。互いが支え合うきっかけとして、こうした小さな試みが、被災地全体を盛り上げることにつながれば、これほど嬉しいことはない。

人と人とがつながり、心を通わせあい、支えあう。『国際協力』とか『社会貢献』などという名前が生まれる前からあった、本来の暮らし方だ。旧西山町の人々同士も、池谷集落の人々にも、ボランティアの方々にも、旧西山町と出来たつながりを忘れないで大切にして欲しい。コミュニティが本来の姿に立ち返ることを確認しながら、短くて難しかった事業が終わってゆく。
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