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柔らかい会議 中越沖地震緊急支援

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柏崎市西山町・中越沖地震で被害にあった家屋

2007年7月16日、中越沖地震が起きた。犠牲者の方々のご冥福とともに、厳しい生活を強いられている被災者の方々の生活が一日も早く復旧することを心から祈っている。また、2004年の中越震災以来、少しの揺れにも敏感になっている前回の被災者の方々の不安を思うと、本当に胸が痛む。あれから、3年も経たぬ間に同じ地域で起きた大震災だ。緊急支援のため、JENは今回も出動した。

前回の震災では、ボランティアの調整業務が大いに必要とされていた。だが今回は震災から3日目の19日時点でも、柏崎中心部での調整は思いの外順調に進んでいた。災害が起こるのは残念なことだが、その度に積み上げられた経験が、阪神から中越へ、中越から中越沖へと受け継がれ、随所に生かされている。そして、日本の様々な場所で起きた災害で支援活動を経験した人材が集まり力を発揮していた。

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西山ボランティアセンターに貼り出されている
ボランティアへの説明書き

それでも緊急状態であることに変りはない。ある程度は混乱しているし、手の届いていない地域もある。そんな地域の一つが柏崎市西山町だ。市の中心部から10キロほど離れているので中心部のボランティアセンターがこの地域を担当するには効率が悪すぎる。そこで、新たに7月21日から西山町にボランティアセンターを開くことになり、早速JENも立ち上げ準備に参加した。
海外でも日本でも、自立を支えるというJENの基本方針は変わらない。いずれ引き上げてしまうJENがいなくなった後に、土地の人たちの力だけで機能できなければ意味がない。彼らが彼らの流儀で何もかも出来るようになることが復興支援の目標地点なのだ。だからこそ、その土地の文化を理解することが重要になる。

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昼間訪れた西山町の避難所では、布団代わりに
している座布団があちこちに積まれていた

土地の文化と一口に言っても、物事の感じ方には個人差があり、文化なのか個人の感覚なのかの判断は難しい。地震の時の状況を聞いても、「目の前のアスファルトにみるみるヒビが入って恐ろしくて動けなかった」「恐ろしくて何も出来なかった」と矢継ぎ早に訴える人があるかと思えば、「怖かったでしょう」と水を向けても「いえいえ、友達とお茶を飲んでいるところだったから全然心配しませんでした」という方もいらっしゃる。同じ日本の土地の上で同じ日本語で話しているから分かり合える、などという安易な推測は通用しない。
会議のやり方も、新鮮だった。直球勝負でどんどん情報を投げあうような、日頃のJENの会議と違い、新潟での会議は『外堀から埋める』感じで、当たりが柔らかい。この感覚にはどこかで出会った覚えがあるな、と考えていたら、それはアラブの人たちとの会議だった。私が出席したアラブの会議では様々な話が同時並行的に続き、確認のために決定事項を復唱したりすることはなかった。アラブの人々は面子を重んじて、相手を立てる。仮に意見の対立があった場合、どちらか一方の意見に落ち着いたら、反対意見の人が面子を失う。だから、追求して突き詰めるのではなく、大まかな合意形成をするのだと聞いた。

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JENから派遣されたボランティアたち。
被災者宅の地割れ修復にあたる

そんなアラブの社会は、家族の絆を大切にする社会でもある。今でも大家族で一緒に住み、互いが互いの生活に大いに口出しして暮らしていると聞く。何かをするたびに一々口を出されるのは面倒臭いだろうが、災害の時には安心して支え合える人がいて心強いだろうなぁ。会議の最中にぼうっとそこまで考えて、数時間前に訪ねたある被災者の方のことを思い出した。
86歳で一人暮らしのその女性は、倒れた家具を起こせなくて家の片付けが出来ずにいた。長距離を歩くことも車の運転も出来ない彼女のために、片付けボランティアの支援を要請しに来たのは総代さんだった。総代さんとはコミュニティのまとめ役のような人だ。高齢者の一人暮らしには様々な理由があるだろう。西山町の人々を支えるのは、アラブ社会のように血のつながった家族ではないかもしれない。それでも一人を大切にするコミュニティがあり、一人一人を支えている。過疎で元気を失い、震災で更に機能が低下したコミュニティが、再び活力を取り戻せる様に、そして相手を大切にする柔らかさが力強く受け継がれてゆく様に、日本の現場でも「支える支援」を続けていきたい。

 

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