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わたしと仕事

終わらない戦争 2年半後の旧ユーゴを訪れて

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シポボでJENの現地スタッフだったボヤンと
2年半ぶりの再会

私にとっての第二の故郷、旧ユーゴの国々。この3月にその内の3カ国を訪れる機会を頂いた。スタディツアーの案内役として8日間で5都市を回る旅だ。当時の同僚は、友人は、分裂してしまったそれぞれの国は、どうなっているのだろう。

2年半前にJENが事業を完了した時は、『帰還したり、避難先に定住した難民や避難民たちの自立のめどが立った』という理由から事務所を引き上げた。『めどが立った』というと、生活の問題がほぼ解決したように思われるかもしれないが、それは全く違う。文字通り『めどが立った』だけで、生活は極めて厳しいままだ。『支援を終了しても状態が逆戻りしない程度』に改善したに過ぎない。別の言い方をすれば、その段階で引き上げねばならないくらい、世界中にJENを待っている人がたくさんいるのが実情なのだ。引き上げるときは引き裂かれる思いだ。だからこそ、その後どうしているかがとても気にかかる。

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JENの「羊銀行事業」で、6頭だった羊を
3倍に増やしてくれた勤勉なおばあさん。
おばあさんは戦争で息子と孫を亡くした

旧ユーゴ全体を見渡してみると、貧しい人はより貧しく、富める者はより豊かに、という格差が広がる状況は、既に始まっていた。振り返れば、それはJENの活動中から進行していた現象だ。

戦争が始まって最初に国が支援を打ち切ったのは芸術分野、その次が福祉だったと聞いている。その結果、各家庭でケアしていた心身不自由者をケアし切れなくなって、『捨て子』ならぬ『捨て大人』というただならない自体が頻発していた。こうした人びとを受け入れていた施設は、収容人数が増えた上に補助も激減し、悲鳴を上げていた。JENの事業でも心身不自由者を受け入れる施設を支援したことがある。

残念ながら、それはたった一つの例でしかない。同じ様なことが旧ユーゴのいたる所で、形を変えて続出していた。
戦争による銀行口座凍結で、それまで蓄えてきた預金をみなが失った。高齢の難民に対する打撃は最も大きかった。預金も失い、当座の食べ物を作る土地も失い、頼りの年金は何ヶ月も遅配して文字通り食うや食わずの生活を強いられていた。当時、主食のパンは一本約70円だったが、店で買える最小単位はその半分だった。小食の人でも一日で食べてしまう量であるこの半本を、一人では買うお金がないので、老人3人で買って分け合っていた。

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NATOの空爆を受けたセルビア政府の建物。
空爆から8年経った今も再建されないまま

今回の旅では、難民・避難民に限らず、一般の人びとの暮らしがどう変わっているか。それを確かめたかった。現地の元同僚たちがJENで働いていた頃、家族や親戚の殆どは無職だった。彼らはJENからの収入で大勢を支えていたから、貯えなどできない状況だった。JENが職員を採用する際にも、同等の能力であれば生活の厳しい人を優先してきた。貯えなくJENの仕事を終えた時、収入の道が途絶えた。

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狙撃兵から狙われないように、
橋の下に作られたつり橋が今も残る

2年半ぶりに会った元同僚たちは、相変わらず一生懸命に働いていた。JENにいたときと同じだ。でも、数人を除いて収入は激減。カツカツの生活を何とか生き抜こうとしていた。厳しい状況にさらされた彼らは、厳しさに立ち向かいながら、この2年間努力を続けていたのだろう、生活はかすかだが改善されていた。

対照的に、戦争による破壊の象徴的存在だった新聞社や国会議事堂やアパート群は、きれいに建て直され、大きなショッピングモールが幾つも出来ていた。
戦争で大金を掴んだ人は、高級車を乗り回し選挙に立候補している。当選したら、金持ちに都合の良い政策を打ち出し、格差は確実に広がってゆくのだろう。

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ゴラジュデで最初に実施した職業訓練事業で、
機械を提供した学校の施設入り口。
現地スタッフだったムスタファと

これが戦争なのだ、としみじみ考える。
戦争が始まった時に16歳だった元同僚は、徴兵されて銃を持ち、20歳の時に終戦を迎えた。その年から9年間JENで働き、地元の人々の生活改善に大いに尽くした。彼自身は、高等教育の機会を失い、31歳になった今も短期の職にしかありつけない。戦争がなければ、普通の高校生となり、普通の就職をしたかもしれない彼の、普通の生活はもう戻ってこない。
戦争は、まだ終わっていないのかもしれない。

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