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パキスタンへの出張から戻った。JENが実施しているカシミール地震の復興支援活動を訪問したのだ。カシミールは2005年10月、大地震に襲われた。人里離れたカシミールで人びとは懸命に復興に励んでいるが、遅々として進まない。その一つの原因は道路だ。
パキスタンの首都イスラマバードからカシミールまでは、直線距離で160キロほど。だが、曲がりくねった山道のため走行距離はずっと長く、車で約9時間かかる。山が急峻で、非常に道が悪い。その上、地震で道のあちこちが谷底に落ちてしまっているという道路事情の悪さだ。だから雪が降った時に道が不通になるといっても、遠隔地の僻村だけが部分的に影響を受けるのではなく、幹線道路一体が堂々と何日も不通になってしまうのだ。

そもそも村には道がない。車を持っている人がいないから、家々までの道が造られないのか、はたまた道がないからみんな車を持たないのか、どちらが卵でどちらが鶏でも、道がないことに変わりはない。傾斜の急な斜面に村が広がっているので、地形のために道を作れないのかも知れない。村の端から端まで歩くと何分かかるか判らないが、山腹に広がる村の中に道は一本通っているだけ。村の中でも道から離れたところにある家の住人は、その道に出るまでに歩いて30分を要することもある。
そして村人たちは想像を絶する速さで歩く。近視の私は、矯正視力でも片目1.5くらいなので見えるものはタカが知れている。周りの景色の中に溶け込んだ点の様な遠くにいる人びとも、あっという間に近づいてくる。山を登るのも下るのも信じられない速さで、私はとてもついて歩けない。5歩進む間に10メートルくらい差がついてしまう感覚だ。

彼らの歩く“道”は、幅約20センチくらいの山肌の踏み分け道だ。その山側は立っていても手に触れるくらい、谷側は一度足を踏み外したらどこまでも落ちていきそうな絶壁だ。こんな踏み分け道が山中にレース編みの様に張りついていて、人びとの交通手段となっている。
JENが支援した一張の重量が400キロを超える学校用テントも、車で行ける所まで行き、そこからはラバに乗せかえるが、ラバでも行けない所は人間が運ぶしかない。踏み分け道を歩くことが唯一の交通手段である彼らは、何があってもどこまででも歩く。バラバラにした部品をみんなで手分けして持ち、文字通り谷を下り、澤を越え、山を登って運んだ。

地震直後の緊急支援を実施していた頃、夜の11時半頃にJENのドアを叩く音がして、緊張が走ったことがあった。深夜の訪問者は、治安上心配な出来事だからだ。だが、ドアを開けてみると、3人の見知った顔の村人が、たいまつを掲げて立っていた。越冬用テントの配布を必要としている世帯の名簿を提出しに来たのだった。遠くの村に住む人びとだったので、愚問と知りつつどうやってきたかを聞くと、歩いてきたという。所要時間は片道4時間半。近所に泊まるのかと聞くと、再び4時間半をかけて家に帰るとのことだった。
何かがあるから諦める、というのは、彼らのライフスタイルではないらしい。何かをやろうとした時に、障碍があればそれを乗り越える工夫をする。乗り越えられなければ迂回する。それでダメでもクヨクヨしない。だって、やるだけやったんだから。
カシミールの人びとは厳しい顔をしていると、出張の同行者が言った。厳しい生活を乗り越えてきた前向きなしわが刻まれているからかもしれないと私は思う。 |