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子どもの頃、秋になるとサンタさんに何をお願いしたかを親に訊かれた。実際のプレゼントが何だったか、実は余り覚えていないが、クリスマスの朝、欲しかったものが魔法のように出現した時の喜びは忘れていない。そしてサンタさんの技に感嘆し、感謝したものだった。

国際協力を仕事にするようになって、この状況を振り返ると示唆的だ。
親や周りの大人は子どもに対して本当に欲しいものは何かと子どもに訊く。これは、支援活動で言えばニーズ調査に当たるだろう。クリスマスプレゼントに何が欲しいかと訊かれて「全部」と答えられたら困るだろう。支援活動のニーズ調査も同じだ。災害で全てを失っても、全てが必要と言われたら対応できない。
また、欲しいと言われた物でも提供できないものもある。クリスマスプレゼントの場合でも、教育上望ましくない物や予算に合わないものは、願われても提供しないだろう。支援の世界では、更に、事業実施後の自立に結びついていなければならないし、その上、持続可能でなければならないのだ。そして、支援活動で難しいことの一つは、受け取る側に多数の人がいることだ。その数の多さもニーズの多様さも支援活動を難しくする。例えば地震や津波の被害に遭ったとしても、一人一人状況も違うし、その状況の受け止め方も違う。更には、体力も立ち直りの速度も好みも違う。気軽に現地でして欲しい支援は?と訊けば、家族を探して欲しい、壊れた家を直したい、食べ物が必要、仕事がなくなった、などといわれてしまう。

JENの得意分野の一つは、このニーズ調査だ。
必要とされているものが何であるかを突き止める時、現地の人々との話し合いは不可欠だが、彼らの訴える言葉で現されるものだけが本当のニーズとは限らない。全てを失って極限的な状況の中で何とか生きようと努力する人々の、意識に登らないニーズもある。その一つに、心のケアのニーズがある。
人は、厳しい状況にある時、自分のためには頑張れないことが多い。逆に、厳しい状況の中でも、誰かの為になら頑張ることが出来る。だが、悲しみや辛さを抱えながら頑張り続ける時、体に故障が起きることも多い。心の傷を癒して行かないと、本当の意味での復興や自立にはつなげることが出来ないのだ。
ニーズ調査を得意とする例は他にもある。
例えば3キロ先の水源まで毎日水を汲みに行く家族があるとする。力仕事を男性がするから水汲みは女性と子どもの仕事だ。水汲みには1回1時間、1日に2回通っている。畑を作りながら内職の縫い物をし、火を熾して食事を作るのは女性だから、水汲み、薪拾いなど子どもに出来る仕事は子どもにあてがわれる。その他、収入に結びつく石拾いなども子どもの仕事になる。もし、荷車があって、水汲みのタンクがもっとたくさんあれば、一日に一回で済むから水汲みにかかる時間は半分になる。ニーズを訊けば荷車とタンクを要望されるかもしれない。
厳しい生活に慣れてしまうと出て来ないのは、例えば、もし井戸が近くにあったら、という発想だ。もしそうなら、もっと頻繁に手を洗えるかもしれない。そうすれば、多くの子どもの命を奪っている下痢症を大いに防げるかもしれない。それは、家計を圧迫している薬代を軽減するかもしれない。それは、諦めていた教育を受ける機会を増やすかもしれない。村に入って、人々の苦労の様子を知り、厳しい生活の問題の根源となっていることを突き止め、それを村人たち自身の力で解決することを支える。これは、緊急と呼ばれる状況でも忘れてはならない視点だ。でもこれには『支援する側』である我々の視点が強く入ってくる。
だから、支援の世界は紙一重。必要としているとこちらが思い込んだものを押し付けにならないように提供しなければならない。それができた時、支援は本当の意味での自立を支える。受け取った人々からのお礼など全く不要だ。誰かを支えることが出来たと感じられる時、その喜びが私たちへのプレゼントとなる。何の見返りも求めず、サンタさんになり切って、子どもへのプレゼントをいそいそと準備する大人の心境は、案外こんなものかもしれない。
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