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インターネットの発展で、私の生活は飛躍的に便利になった。日々、様々なサイトにアクセスし、雑多な情報を瞬時に無料で集めることが出来る。1994年に旧ユーゴに駐在し始めた頃はメールもなく、日本とファックスでやり取りしていた時代。情報集めも難しかったし、仕事に直接関係のないことは調べる余裕もなかった。私は、芸能ネタには特に弱く、キムタクも知らなかった。
「けいこさん、キムタク知らないでしょ」と言われ、「知ってるよ、木村タクジのことでしょ」と知ったかぶりをして、大ブーイングを受けたこともある。今でも芸能ネタには弱いけれど、聞きかじった名前をこっそり検索すれば大丈夫、キムタクでもひっきーでも何でもござれだ。

もっと助かるのは、やはり国際情勢だ。
JENの活動地域は、政情不安定の場所が多い。政治の動きは治安にも直結しているので、スタッフが安全に活動するためにも、常に気を配っている必要がある。勿論、現地に駐在しているスタッフは最前線の最新情報をいつも集めてそれを分析しているし、本部の各担当はそれぞれの担当国の情勢をよく把握している。
彼らの情報は信頼性が高いから、とても頼りにしているが、私自身もある程度の情報は知っていなければならない。もとより、全てを熟知することなど出来ないにしても、全体像をつかんでいなければ、大きな判断を間違えるからだ。
そんな時、事務所にいながらにして多くを得られる、インターネット上の国際情勢の情報は本当に有難い。様々な国で英語版のニュースを出しているから、必要であれば比較して読むこともできるし、有名無名の人々がその地域の出来事やそれについての分析を書いたものにもアクセス出来る。今やインターネットは、私にとってなくてはならない情報ツールだ。

一方で、インターネットで得られない情報もある。
JENは、カシミール地震の直後から被災者支援に取り組んでいる。私のカシミールのイメージは『雪山がきれいなところ』というものだった。ところが事業実施の為に実際に訪れてみると、カシミールは、寒くて雪山がきれいなだけでなく、暖かく過ごしやすい季節があって、その季節には緑も豊かだった。
だが、私の頭の中のイメージから最も欠落していたのは、そこに住む人々の暮らしだった。
確かに山は険しい。その険しい山の3000メートルくらいの高さまで、まんべんなくぽつりぽつりと家が点在している。夜になればこの家々に灯りが点り、山肌全体が宝石箱をひっくり返したような美しさとなる。家と家の間が離れているので決して華やかな夜景とはいえないが、その灯りの一つ一つに震災の被害から立ち上がろうとする家族がいた。昼間に急斜面を歩いて被災家屋を回ると、どこからともなく村人が集ってきて話を聞かせてくれる。震災でぺしゃんこになってしまった家から、やっとの思いで掘り出したカップで紅茶を入れてくれる人もいた。トラックが遅れ、テントの配布が夜に及んでしまった時は、寒い山中で焚き火をしながら配るのをみんなが手伝ってくれた。中には、自分はテントをもらえないのに、夜まで手伝ってくれた人もいた。
雪山だと思っていたカシミールは、温かい心を持った人々がたくさんいる場所だった。こんなことがある度に、写真や文章だけでは伝え切れない情報があることを痛感する。
人々は再び立ち上がるために頑張っている。頑張る姿が支援する私たちを感動させる。そんな姿も、日々触れている私たちが伝えなければ、日本や他の国にいる人々に届いて行かないものなのだ。
伝えること。これも大事な国際協力である。 |