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10日ぶりのダルバルは、すっかり雰囲気が変わっていた。昔は栄えたであろうダルバルは、今回の戦闘で戦火を浴びていないから、町の建物や外観に変化はないはずだ。町の中に避難してきた人を見かけることもなかった。それなのに、たった10日の間に、更にさびれたような、諦めたような、淋しい表情になっていた。
この10日の間、普段に増して敏感に私たちはニュースを追っていた。どうやらこの地域にいたセルビア人たちは、村を離れて避難しているらしい。避難する道すがら、投石などの迫害を受けているという報道もあった。
いつも支援を考えることが、私たちの仕事だ。こうした悲劇が発生した時に、出来ることは何かと考えるのが私たちの自然な反応なのだ。もとより、世界中の悲劇の全ての現場に居合わせることは物理的に不可能だが、その現場に居合わせてしまったのだから、出来ることがあればやった方がいい。ただし、出来ることがあるかどうかは、厳密に言うと現場に行ってみないとわからない。やる必要がないことをやるのは弊害で、必要とされていることを私たちが常にできるとは限らないからだ。本当に必要とされる支援を実施するためには、現地に足を運び、何が求められているかを調査しなければならない。
私たちは、避難する人々の状況を確認するために、周辺の村に向かった。

到着した村は、明らかに普段と様子が違っていた。のどかな農村では、普段であれば晩春の昼間、しかも炎天下でない働きやすい時間帯に、仕事もせずに大勢の人たちが集まっていることなどない。だが、公民館のような建物の前には大勢の人が集まっていた。村の中心に位置する村役場まで行くと、そこにも大人数の人溜まりが出来ており、混乱状態の一歩手前だった。
村役場の隣にある空き地にはトラックが停めてあり、荷台には迷彩色のキャンバス地の布がかけられ、その中に何かが乗せられていた。あたりにはなんともいえない臭いが漂っている。それ以来、何度か体験することになる遺体の臭いだった。
村役場に押し寄せた人々は、一生の決断を迫られて迷っていた。それを決めるために少しでも多くの情報を得ようとして集ってきたのだった。
安全だと思っていた『セルビア人占領地域』は、『クロアチア軍の攻撃』によって『陥落』してしまった。『陥落した』ということは、『クロアチア人地域』になるということなのか? 先祖代々数百年にわたって受け継いできた土地と家をここに残したまま、避難するべきなのか? その場合、再び戻ってくることは出来るのか? それはいつか? ここに残った場合、セルビア人である自分も子どもたちも迫害を受けずに安全に暮らせるのか? 大きな決断だった。

幾つかの村を回り、それぞれに状況が違うことを確認した。ある村は、既に全員が避難した後で、軍服を着た人々が民家に入り込み、電化製品や金目のものをトラックに運び出している所に遭遇した。わずかに開いた窓から真っ白なカーテンがはみ出して、風に吹かれているのがいかにもやるせない。なぜかどの家も窓が開いていて、真っ白なカーテンがひらひらと力なくはためいている。敗者の白旗にも、犠牲者を傷む半旗にも見えた。
ある村では、今まさに避難している人々の隊列に出会った。トラクターの荷台には積める限りの家財道具を積み上げて、不安定にふくれ上がったその荷台の上に、不安げな表情の家族が座っている。父親と思しき人がトラクターを運転していた。
トラクターは元々スピードが出ないので、その隊列はゆっくりと進む。何台も何台も何台も、延々とトラクターが続き、避難する人々の隊列はその終わりが見えなかった。トラクターは運転席にも荷台にも屋根はない。折しも降り出した冷たい雨は、容赦なく人々を濡らしてゆく。気が付けば、すっかり寒くなっていた。
『こんな日にどうして雨が降るんだ。』同僚のラジブが、溢れる涙をこらえて空を睨みつけながら、吐き捨てるようにつぶやいた。
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