|
急に戦闘が始まったオクチャニから避難して、首都のザグレブに着いた私たちは、翌日お客様を空港で見送り、事務所に戻った。砲撃を受けているのに逃げられない難民の人たちや、連絡のつかない同僚のお医者さんのことは心配でたまらなかったが、ともかくもお客様が無事に帰途についたことでホッと安堵した。のどかによく晴れた、爽やかな日だった。
その時突然、砲撃の音が鳴り響いた。
私たちは、オクチャニの戦闘でも、遠くかすかに砲撃の音を聞いていた。でも今の音は、迫力が違う。初めて間近で聞く音だったが、すぐに砲撃の音だとわかった。
「ボン、ボン、ボン」と続けざまに数発。
ザグレブは、確か一度も戦場になっていないと聞いていたが、とうとうザグレブにまで飛び火したのか?! それともクロアチア全土で戦闘が始まったのだろうか?!
続いてサイレンの音が鳴り響く。波打つような抑揚があり、何かしなければ、という気にさせるサイレンだ。これも初めてだったが、空襲警報だとすぐに判った。
「砲撃の時に窓際にいると、砲弾が飛んで来たときにやられてしまう。だからどんなに外の様子を見たくても、絶対に窓際には近寄るな」と言われていたことを思い出し、同僚と一緒に部屋の中央部分に移動して、全身を耳にして外の様子を伺った。人の騒ぐ声は聞こえない。怪我人が出るほどの砲撃ではないということか。それとも声が聞こえるほど近くではないのか。

くるくると色々なことを考える。今、スタッフの身の安全を守るのにベストの方法はなんだろう。空襲が始まると、市民はみんな地下室に避難すると言っていたが、私たちも入れてもらえるのだろうか。そういえば、引っ越したばかりのこの建物に、地下室なんてあったかしら。
いずれにしても、スタッフの身の安全を確保するためにできることを、すべてやらなければならない。そして、それを考え、実行しなければならない責任者は、この私だった。
こんな時頼りになるのは現地スタッフだ。ザグレブには、サラエボから難民として避難してきたスタッフが働いていた。彼は、熾烈な紛争下のサラエボで暮らしていただけではなく、徴兵されて兵士として従軍していた経験をもつ。戦闘下でいかに生き延びるか、という技術を知り尽くしている大先輩だった。
私は彼と相談しながら、あらゆる情報を集めた。まず、私たちが、今一体どんなことに巻き込まれているのかを知らなければならない。本格的な戦闘なのか、一時的な砲撃なのか。方々の情報源にコンタクトして、少しずつ状況がつかめてきた頃、平坦な音のサイレンが鳴った。空襲警報には2種類あり、抑揚がある場合は空襲が始まるという本当の警報、平坦な方は空襲がおさまったという知らせらしい。ひとまず当面の危機は過ぎ去った。
私は、引き続き今後の対応のための情報収集に奔走した。クロアチアとセルビアの5つの事務所に散らばった全員を避難させるのか。どこかの事務所だけでいいのか。避難するとすればどこに行くのか。ある程度は決めていた避難計画の最終案を作るために正確な情報が必要だった。避難期間の長さ次第でも対応が変わってくる。
ザグレブへの砲撃は、オクチャニへのクロアチア軍の急襲にセルビア軍が反撃したものだということだった。13発の迫撃砲がザグレブに打ち込まれ、犠牲者が出た。翌日、再び空襲警報が鳴ったが、砲撃はなかった。それでも翌々日、私たちは念のため、クロアチア側に駐在しているスタッフ全員で、ザグレブから車で4時間ほどの海辺の町、リエカにあるJENの事務所に避難した。

避難する日も、のどかによく晴れた日だった。けれどもザグレブの街はもう、同じ様にのどかには見えなかった。オクチャニの難民の人たちと、同僚のお医者さんのその後の情報は、依然として入ってこなかった。
|