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こころの宝物を見つけに

生きたい≠ニいう願い

暮らしの中で、浮かんでくる伝えたい言葉の数々。時には哀しく、暗い思いにふちどられそうになっても、まぶしい朝の陽射しをあびて、足元にまとわりついてくる猫たちに、朝のあいさつをして(もちろん猫語ですよ?!)お弁当をつくり始めると、私の言葉たちは、きらめきを取り戻します。暮らしは毎日が基本的に単純な繰り返しですよね? ご飯をつくり、お弁当をつくり、片づけ、洗濯、おそうじ、ゴミ出し、有価物のまとめ、お風呂……。それを繰り返すうちに、気づいてみれば、子どもたちはあっという間に、親の背丈を越し、私たちの知らない世界へ冒険に乗り出す時を迎えるのです。その時に、引き止めないように今から心構えを夫と二人で準備しているつもりですが、「案外、夫の方が子離れがつらいかも……」などという思いにふけっていますと、「いづみ。僕はだいじょうぶだと思うよ。たくさん子どもと過ごせてきたからね。それに僕はアウトドア、インドアの趣味も多いし。君はだいじょうぶ? 仕事一筋。時には僕たちはおいてきぼりになるくらい。趣味もないようだし──」
「ご心配なく、体に気をつけて一生仕事はするから。でも趣味は必要なのはわかる。読書と映画以外に──」
というわけで、私はこれからアウトドアの身体を動かす趣味を見つけるつもりです。その時はまた、みなさまにご報告しますね。

先週NHKラジオで、一時間ほどお話しをしました。生番組です。この一ヵ月ほどいのちの終末期に近づいた八十五歳の女性の在宅ケアを引き受けていましたので、代理の先生はお願いしてありましたが、内心心配でした。彼女は一ヵ月半前からほぼ寝た切りになりました。それまで気丈で頑張ってきた方でしたので、それがいのちの限界の時と思えました。わがままをいったことのない人が、
「今回は入院はいや。家にいたい」とめずらしくはっきりと主張しました。同居の五十代の息子夫婦は、共稼ぎで日中は家にはだれもいません。どうしたらいいのか? 多少の経費は了解していただき、介護保険で連日のヘルパーさんと看護師によるケアをケアマネージャーに考えてもらいました。道は開けるのです。「一人にはしない。みんなでいのちを支えよう!」とかけ声をかけて毎日かかわってきたのです。

食べたくない、飲みたくない≠ニいういのちの最後の段階になって、小柄なこの方の体はますます、小さくなりました。しかし、今まで見たことのないような(まるで天女のような)笑顔を浮かべるようになったのです。看護師さんたちにたずねました。「この小柄な女性の口もとに耳を近づけて聞いてみて。なんておっしゃっているか──」。
しばらくたって答えが返ってきました。
「先生、生きたい≠ニ聞こえます」
「では、そのお気持ちに寄り添ってください」
息子さん夫婦だけでなく、看護師さんヘルパーさんたちが、それは一生懸命にいのちに寄り添ってくれました。そして、その日、私のラジオ放送をみんなで一緒に聴きながら、安らかに昇天なさったと連絡がきたのです。胸がいっぱいになりました。
私がいのちのケアにかかわって改めて学んだこと。それは、いのちは最期の一瞬まで生きたい≠ニ願うようにつくられているのだということ。
そして、いかなる時にも、いのちは明るい面に向かって成長を続けて力を与えられているのではないかと、それを希望≠ニ私は心から呼びたいのです。
〜ご愛読ありがとうございました。
            また会う日まで。さようなら〜

 

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