暖冬で安心していたら、二度の雪とそれに続く寒波で、診療所の前庭は「冬の女王」が通り過ぎたかのように枯れ果ててしまった。枯葉をかきわけると、チューリップやクロッカスの芽が地面からかすかに伸びているのが見えた。晩秋にせっせと植え込んだ球根達だ。二年前にオランダ旅行をしてから、すっかりチューリップのとりこになってしまった私は、何ヵ月後かの満開の日を夢みながら待つ♀yしみを久しぶりに味わっている。
すぐ目の前の結果が出るのにもいらいらして待てないほど短気で忍耐力がなくなっている現代の私達に、自然の力は何かを生み出すためには、十分な時≠ェ必要なことを教えてくれる。昔読んだ大好きな本のひとつに秘密の花園≠ェある。がんこで不健康な少女メアリーが、自然児デーコン少年と花園をよみがえらせるうちに、自分も自然から生き生きとしたエネルギーを得て子供らしい明るさとたくましさをとりもどしていく様子に心が踊った。イギリスの荒野(ヒース)に行ってみたいと十歳の頃、私の想像の翼は広がったものだ。

待つ≠ニいうことは、子育てにも大切だ。子供の未来の自立に向けて、親達はオロオロし、そしてワクワクしながら毎日子育てに取り組んでいる。自分の計画や予想通りに子育てがいくと思っていると、自分も子供も追いつめることにならないだろうか? いのちの居る場所が愛情と信頼で満たされていれば、だいじょうぶ! いのちは安心して伸び続け、いつか必ず満開の時をむかえるはずだ。いのちは本来そういう力に満ちている。私たちは待つ≠アとは希望であると信じたい。思い出してみると私の父も母も日常の生活はとても忙しかったけれど、子供の未来のためにたくさんの可能性の道を用意してくれた。そして、私が自分で未来の方向を選ぶまで待って≠ュれたことを今になって改めて感謝している。

昨今、仕事にも成功し立派に子育てと両立して、更に自分の女性としての輝きのために、お金も時間もおしまない女性達の記事を目にする機会が多い。彼女たちの姿は魅力的にうつる。私はロールモデルになる≠ニ称して不妊治療の終過を公表している女性もいる。確かに、ひとつのあこがれではあるだろう。でも、こういう人達への賞賛の記事の論調にあうと、どこか私の心の片すみに、かすかに引っかかる何かが生まれる。この方達は、社会的にも立派な地位を得て、経済的にも成功をおさめ幸運にもパワーを獲得している。しかし日本の多くの女性達は、子育て、仕事、家庭運営のバランスの中で時にはため息をつきながら笑顔で頑張っているのではないだろうか。その仕組みを変え、社会がサポートしていく運動はもちろん必要だ。でも幸運な一部の女性達を必要以上にうらやむ必要はない。誰にでもひとつだけ共通な確かなことがあるのだから。介護でも、子育てでも、どんな手助けを受けても他人にゆずれない無私≠フ心でいのちに向かい合う場所があるということ。それを犠牲≠ニ思ってしまうと、私達は自分を暗い袋小路に追いつめてしまうかもしれない。昔の母親はよく頑張った≠ニ、ある男性達は言う。とんでもない! 今の多くの母親達だって頑張っている。私もその仲間のひとりとして、ずっとお母さん達を応援していくつもりだ。私は今年八十三歳になる働き者の母の節くれだった大きな手を、この世で一番美しいものだといつも思う。そして、こういう母親の手が、人生のOne true thing(ただひとつの真実のこと)を子供達に教えてくれるのだ。
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