言葉。コミュニケーション。説明と同意と納得(インフォームド・コンセント)、話し合い。伝言。遺言……。日ごろ何げなく使っている言葉の力と意味を改めてみつめ直している。人間は自分に都合よく考えがちなので、相手に通じていると勝手に思いこんで、かんちがいの道をたどることもありそうだ。
みなさんも思い出してみて下さい。恋に落ちた時の自分の心を。一瞬で相手の何もかもを理解したつもりにならなかった?
「言葉なんていらないのよ」と、恋に落ちた私の友人はうっとりした顔で私に言ったものだ。それはもう30年近く前のこと。しかし、結婚して30年もたつと、再び言葉はいらなくなるそうだ。「夫は空気みたいなもの」と。それで幸せに一生を終える御夫婦もいるかもしれない。でも、ある日突然、「好きな女性と長くつきあっている。別れてくれ」などと言い出され、怒るより、夫のことを何ひとつわかっていなかったことに気づいて呆然とする妻。「いつ本当の会話をしたのか思い出せない」などとうろたえるエピソードを耳にしたこともある。私たちは安心しすぎると相手への言葉を手離してしまう危険性を持っていることに気づいた方がいい。

今年の冬の初め、がん治療が終了し、大病院から退院したばかりの60歳のOさんが、私の外来にいらした。支えられて歩くのがやっとの様子だった。
私の前にすわると、深く息をつき、「やっと、お会いできた。うれしいです」と、にっこり笑った。人なつこい、明るい笑顔に私はみとれてしまった。
「ずっと先生のファンでした。でも患者になるというのは、またちがう気持ちですね。私のこれからのいのちをよろしくお願いします」
それからすぐ、病気が重くなり、歩くこともむずかしく私たちは往診に切りかえた。病気の重いことは前の病院で家族は告げられていたが、どう進行するのかは、実際に体験したり介護しなければわからない。
Oさんの身内に耳の不自由な方がいらしたので、私たちは言葉を、手話通訳や筆記などを使って伝えている。ふだんなら、“心から心に通じている。わかっているはず”などと思って自分勝手に省略している部分まで、ひとつひとつ言葉にして伝える大切さと同時にむずかしさも学んでいる。信頼感があると自信過剰になり、伝える努力を十分しない場合もあるかもしれない、と反省している。

Oさんは、口をきくエネルギーが小さくなり、眠る時間が長くなった。最期の時が近づいている。家族はみつめ、口に耳を近づけ、よりそっていのちのメッセージを必死で受けとろうとしている。
死にゆく人の、まばたきのひとつに、息づかいのひとつに、心を深く留めてかかわれるようになりたい。
そして、私たちは──日々の暮らしの中で、子供の目をみつめて、しっかり話そう。夫の目をみつめて、しっかり話そう。仲間の目をみつめて、しっかり話そう。
慣れあいにならず、手をぬかず、近くの人にこそ、毎日、しっかりと本物の言葉を心の奥まで届けたい。
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