暑い日の記憶から身体感覚がなかなかさめない間に、秋が深まっていく。季節の移ろいの早さに、心がついていけない気がする。
我が家の前庭のあんずの木から、なごりのように枯葉がハラハラと落ちた、と思ったらそれは蝶だった。蝶はヒラヒラと路地を舞っていった。「な〜んだ」と思って地面の別の蝶に目をこらしたら、今度こそそれは枯葉だった。深い秋の色を持つこの蝶は“てんぐ蝶”と呼ばれているらしい。

いのちのケアをライフワークにしている私には、蝶は大切なシンボルだ。1960年代はDNAの二重らせん構造が、ワトソン・クリック博士らによって発見され、いのちの秘密の扉が科学によって開かれた。時を同じくして、それまで医療界ではタブーとされていた「死」に向かい合う医学(サナトロジー)が誕生した。それはあたかも、いのちを裏と表からしっかりと支え合うかのように――。
その旗手のひとりが、エリザベス・キューブラー・ロスというアメリカの精神科医だ。彼女は患者と向かい合い、それを『死ぬ瞬間』という本にまとめて世に送り出した。この本は世界中でベストセラーになった。
ロス博士は若い頃、第二次世界大戦下のアウシュビッツ(ユダヤ人強制収容所)の壁に描かれた蝶の落書きを見つける。ガス室送りを待つ、未来がない幼い子供たちが残した、空に舞っていく蝶の絵。彼女はそこに、絶望より希望を感じとっている。
後年、彼女は『ダギーへの手紙』(佼成出版社)の中で、脳腫瘍をわずらう9歳の少年ダギーの「死とは何か?」という質問にこう答えている。
「魂を閉じこめた体というさなぎをぬぎすてて、蝶のように自由になる――それが死ぬということです。」
ロス博士は今年8月に、静かに天国へ飛び立っていった。
20世紀をりんとして生き抜いた女性、レーチェル・カーソンも、不思議なことに死を目前に、蝶と出合っている。彼女は、大きな圧力にも負けずに、環境汚染に警笛を鳴らし続けた、勇気ある、小柄なアメリカ女性だ。『沈黙の春』はご存知の人も多いはず。レーチェルはがんにかかり、死が近くなった日に、海峡を渡る青いモナーク蝶の大群を目にして、救いを感じた。それは、まるで、いのちの輪廻(りんね)と希望であるかのように彼女の心をいやした。

私の診療所の玄関のわきに、小さな庭がある。看護師のSさんがいつももくもくと植物のめんどうをみてくれている。(実は、彼女は緑の指を持っているんです!)
彼女は、育ちすぎた萩の木を、冬に向けてばっさりとせん定した。「わー、ごめんなさい。」と声がする。様子を見に出てみると、切り倒した枝から、もん黄蝶が離れないという。彼女は蝶に必死であやまっていた。そこが蝶の大切な住み家だったのだ。身近に、こんな小さないのちの宇宙がある。
21世紀は、どんないのちの世紀になるのだろうか。日本を見回してみても、小さないのちの悲鳴が、あちこちで聞こえる気がしてならない。いのちの宇宙に目を向け、この時代に生まれたことを感謝し、家族に出会えたことを感謝して、一日一日をすごせていけたら、こんな幸せはない、と思うこのごろだ。
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