みなさんはどんな夏をおすごしになりましたか? 私の住む甲府盆地では、観測史上初の記録的な暑さが続き、お年寄りに夏負け症状が続出しました。
私達の仕事は、午前中は一般的な内科外来。午後は往診中心で、暑さのピークの2時頃に出発します。南国のスローライフ、特にお昼ね(シエスタ)ができたらどんなに幸せだろうと思いつつ、いつも日本式働き蜂ペースで働いています。フライパンのように熱くなった車のドアを、息を止めて覚悟して開けて乗り込むと、病人が待つお宅へと出かけるのです。私達の仕事は体力勝負です。

『体験しなくてはわからない。』
これは、家でのいのちのみとりを10年以上続けてきて学んだことのひとつです。在宅でのターミナル(終末期)ケアに初めて手をだす家族。人生を終える、という最初で最後の大仕事をする本人。全ての体験が、今まで想像もしてこなかった新しいチャレンジです。
私達はプロフェッショナルとして、何度もいのちのみとりをくり返してはいますが、一度として同じではありません。その方の個性に合ったケアは、ひとつずつはじめから手作りです。喜びも悲しみもせつなさも、ひとりひとりちがいます。
ただ、共通していえることがあります。『他人まかせの楽な道のりではない』という点です。自分達が手を出さないと何も始まらないのです。“自分の方が先に死んでしまうのでは?”と感じるほどの体力、気力の限界を乗り越えて、家族はいのちに寄り添っていくことを学んでいくのです。
一般の医療者達も在宅ケアの体験が一度は必要ですね。たとえば、大きな病院の中で長く働いていると、患者さんをみているつもりでも、いつの間にか病気や臓器をみるスペシャリストとしての医療に傾いてしまい、体と心と社会性と魂を持った人間としての患者さんに、向かい合う態度が乏しくなってしまうのではないでしょうか?
しかし、臓器ではなく相手の人生に向かい合うためには、気力、体力と不断の学びが求められます。その努力が、私たちに足りないことを反省します。

ある時、病院での緊急処置が必要になった患者さんを、救急車でそれまでのがん治療をしてくれた病院に運び込みました。担当医は、本人の耳元で「末期の人に何をしても無駄です。ここに来てもすることはない。」と冷たく言いました。こういう言葉を聞くと、私は悲しくなる前に怒りがわいてきて、患者さんのために担当医と大げんかをしようとする気持と必死で戦いました。けんかで相手の心は変わらないことも、この10年で学んできたからです。
死にゆく人を最期の瞬間まで、ひとりの人間として尊重すること、それはとても大切なことです。その共通意識さえ支える人達にあれば、家にいても、病院でも、ホスピスでも、老人ホームでも、誰もが安心して自分の人生の最後の宿題に取り組めるはずです。
人の心を変えるには、まず自分で体験すること、そして人の悲しみ、せつなさを感じる心を育てることしかないと思っています。その時、伝える心は大きく広がっていくはずです。
さて、次回には“最後の宿題”についてお伝えしたいと思います。
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