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この坂道を何度、歩いたことだろう。まだまだ子供だった20代の仕事の帰り道、独立したての頃打ち合わせに向かう道、この坂の途中に仕事場を構えてからは、朝に夕に、何度、歩いたことだろう。友人と両親と妹と、そして、姪の手を引いて──。何度、歩いたことだろうと、秋の雨に濡れたこの坂道を歩きながら、目に浮かぶ、春の桜の坂道、夏の夕立ちの坂道、冬には雪に氷った坂道を思いながら、自分を振り返りました。今は、仕事場は移動して、この坂を下りきった場所にあります。そして、今日もまた、こうしてこの坂を歩いているけれど──。

ある日、ふっと、自分が居なくなる日が来るってことを考えます。それは、突然に、静かに、そしてあたり前にやって来ると想像します。わたしはこの世界から消えるのです。透明の空気のように見えなくなります。こんなに歩いたこの坂からわたしが消えても、何も変わらないこの坂なのです。そして、誰も、わたしが消えたことに気づかないのです。そう思うと、なぜか、清々しい気持ちになります。それは、わたしがこうして生きているのは、ただここに居るだけなんだって思えるからかも知れません。ただここに居るだけで良いと思えるのは、なんて気持ちの良いことなのでしょう。いろいろと思いを巡らせて生きなくて良いということはなんて気持ちの良いことなのでしょうと思います。
だけど──、毎日のくらしの中で、いろいろと思い巡らせずにいることは、むつかしいものだと同時に考えます。自然や宇宙は、人間にも「そのままであれ」と忠告しつづけているのに、思い巡らせない生活、欲張らない人生を生きるのが、どんなに簡単なことではないのかを思い知ります。明日を生きるために、自分を甘やかせたり、叱ったり、喜ばせたり……の毎日のわたし。
「精一杯生きることの意味ってなんだか知ってる?」って、自分に聞きたいものです。この坂道を歩く度に、答えをはっきり言えぬままの自分に出合うのでしょう。そして、しばらく、答えは先送りのままです。
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