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◆ひとつの林檎
◆雨の向こう側に。
◆フワリと空に
◆愛について。
◆夜空を見上げて――。
◆アンテイキョウキュウ
◆星の夜空に。
◆鏡の中にいるわたし
◆キラキラやピカピカ
◆わかっていても
◆ゼラニウムとわたし
◆けやき並木に
◆あてがなくても
◆わたしが消える日
◆空を見上げて
◆ヘンテコなステップで
◆くらしの中に
◆ゆびさきに春
◆春の扉
◆わたしの夢
◆美しい晩に
◆空の劇場
◆星を飾れば
◆秋も深まる頃に

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◆インデックス

わたしを見つける場所

夜空を見上げて――。

わたしは、夜空を見上げるのが好きです。都会ぐらしの夜空で、何が見えるの?と、美しい星空を毎夜、見上げる方は思われるかも知れないけれど、それでも、わたしは夜空を見上げるのが好きです。たとえ貧しい都会の夜空でも、星はわたしに何かを知らせてくれるのです。

今夜、夜空を見上げれば、大接近のピークは過ぎてしまっていても、銅色に輝く火星が見えます。突然に現れた星ではないけれど、今、まさに数万年振りにあいまみえてランデヴーする地球と火星です。太陽のまわりを旅しながら、お互いの軌道がやっと近寄って、しばらくの間ランデヴーをしているのです。

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わたしは夜空の火星を探しながら、人との出合いの必然性について考えます。人間の寿命と云われる数十年の間に、人は何人の人と出合い、その人との出合いによってどんな道が開かれて行くのかしら?なんて。全ての人に与えられた命が軌道の中心だとしたら、そして、全ての人にそれぞれ軌道があるとしたら、その軌道の出合った場所こそ、人と人との出合う場所なのでは?って。それは、まず、両親との出合い、兄弟や姉妹との出合い、恩師との出合い、友人との出合い、忘れられない人との出合い、敵人との出合い、パートナーとの出合い、はたまた、息子や娘、孫息子や孫娘。わたしが眠っていても、食事していても、笑っていても、怒っていても、どんなに忙しくしていても、わたしは運命の軌道の上を、わたしの知らぬ間に滑り続けている気がしています。わたしは運命論者みたいかも知れません。だけど、人との出合いは、どんなに押しても引いてもどうにもならないもののように思えるのです。強いて云えば、その誰かがもたらす、アクションも選べないように思えるのです。たとえば、わたしが両親を、両親がわたしを選べなかったように、それは与えられるもののような気がします。だから、わたしは、あるがままのわたしでしかないのだな。などと思ったりするのです。笑ったり、怒ったり、逆らったり、そんなわたしのイロイロを乗せて運命は軌道を滑っているようです。そんなイロイロを持っているわたしが両親や妹やその夫、姪や甥、恩師や友人、などと出合い、今のわたしである気がします。その誰もが、無理矢理に受け取ったものではなく、全て与えられたもので、またその誰かがわたしにもたらした物は、そのどれもが、自然とわたしに与えられた物なのです。だから、こんなに弱いわたしだけれど、野に咲く花のように、風に吹かれる気持ち良さを雨に打たれる潔さを、感じられる受け止められる自分でありたいと、銅色に輝く火星を見ながら思うのです。そんな、ちっぽけな事を考えている自分もまた、運命の軌道を知らぬ間に滑っているのかも知れないけれど――。

 

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