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◆ひとつの林檎
◆雨の向こう側に。
◆フワリと空に
◆愛について。
◆夜空を見上げて――。
◆アンテイキョウキュウ
◆星の夜空に。
◆鏡の中にいるわたし
◆キラキラやピカピカ
◆わかっていても
◆ゼラニウムとわたし
◆けやき並木に
◆あてがなくても
◆わたしが消える日
◆空を見上げて
◆ヘンテコなステップで
◆くらしの中に
◆ゆびさきに春
◆春の扉
◆わたしの夢
◆美しい晩に
◆空の劇場
◆星を飾れば
◆秋も深まる頃に

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◆インデックス

わたしを見つける場所

愛について。

いろんな形の愛があるけれど、この頃、家族の愛について、考える事が多くなりました。ことさら、親の子を思う愛については、今さらながらびっくりするばかりです。わたしには子供はいないので、この愛については、傍観者でしかないのですけれど、一言で言えば、親の子供への愛は、「一生、片思い」だと言えるのではないのかしら。一度、子供を持ったら、どんなに愛を注いでも注ぎ足りずに、晴れの日も雨の日も、暑い日も寒い日も、どんなに幸せの時も、心配で、愛しくて、目を離せずに。この気持ちを理性でコントロールして子供に接しているのだけれど、子供はそんな事はおかまいなしで、自分の成長する事だけに力を注いで、時に、この愛をうっとうしく思ったり、たまに振り返ったり、注がれる愛を当然に受け入れ、わがままに拒絶したりして。親にとっては子供を愛するがゆえの心労が絶えずあるでしょう。

そういうわたしも両親の愛をいっぱい受けて、ここまで来たけれど、大人過ぎる程、大人の年齢になった今でも、事ある度に両親は、いろいろと心配しているのが解ります。どんな事があっても、ありえないと思える事を、あれこれと想定してはわたしにあてはめて、心を砕いてくれます。わたしが笑ってしまうような事でも彼らは真剣です。わたしが何処に行こうと何をしていても、影のようにわたしについて来て、何かあれば、何時でも助けに行くつもりでいる親の愛。それが不自由で逃げまわっていた時もあったけれど、今は、感謝しています。それは、自分の弱さを少しだけでも認める事ができるようになったからかも知れません。それは、少しだけ、わたしが大人になったからかも知れません。強くありたい。ひとりでやり遂げたい。と、ただただ、傲慢な青春時代を通過して、やっと、愛について――などと考えられるようになったのかも知れません。

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愛とは不思議なものです。子供への親の迷いのない愛は、子供に勇気を与えてくれます。たぶん、親はその子供の輝きを見て、その輝きをこよない宝物にできるのでしょう。子供は、もし痛手を負っても癒してくれる場所がある事を知っているから勇気がわいてくるのです。いつか、きっと、この地球から、父も母も、いなくなってしまう日がやって来ます。ただ、ただ、わたしに愛を注いでくれる人が居なくなった時、わたしはその愛をどうするのでしょう。今は、まだ、解りません。だけど、愛の種は何処にある? その地図を渡してくれた両親に心から感謝しています。わたしには家族がある。その事がこんなに大切な事だったなんて――。つくづく、最近、感じるのです。

 

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