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今は、梅雨のただ中、空気はしっとりと水を含んで重た気です。梅雨は苦手――。梅雨が好きだなんて人は、そうそういないと思うけれど、とにかく、しとしと雨は鬱陶うしいし、雨傘を手離せないと云うのもめんどうくさい。お気に入りの靴も履けない。初夏の爽やかな季節の後に、やって来るこの鬱々とした季節は、ことさら、わたしは苦手なのです。
雨が上って、月明りも見えるかと思う程、晴れた夜中。高い湿度と真夏並みの気温の高さに空調を入れるのはまだ早いと、窓を大きく開け放って、ぼんやりと窓枠に腰かけて外を眺めていた数日前。大きく深呼吸すると、水分をたっぷり含んだ空気に、わたしは、何か、忘れていた記憶を思い出させられました。この感触、この気持ちはなんなのだろう。と、頭の中で、小さく円を描くように思いを巡らせてみると、子供の頃、夏休みに行った山の中の小さな駅に降り立った夜の記憶でした。そんな事は、今まで、すっかり思い出しもしなかったのに――。すると、心の中に、何か突然、込み上げて来て、その気持ちを、どんな言葉にたとえようかと、また思いを巡らせました。いろいろな言葉に置き換えて、「切ない」という言葉をあてはめました。子供心に、そんな思いをしたのかどうかは、今となっては定かではないけれど、その言葉しか見つかりませんでした。

雨の記憶を辿ってみると、思い出すのはやはり、どれも、少女の頃の「切ない」記憶です。雨の鬱陶うしさが、そんな気分にさせるのかどうかわからないけれど、我が家の軒先で雨やどりしていたサラリーマンのうしろ姿、小学校のニス塗りの机の甘く気だるい匂い、小学校のうっすらと汗をかいた石の壁の色、母と手をつないで小走りで歩いた遅刻の雨の通学路。どれも、白くぼやけた雨の向こうの記憶。どれも、鬱陶うしい記憶だけれど、どれも、決して嫌な記憶ではないのが不思議です。むしろ、なぜか、わたしの心に、静かに潜むように眠る心地良い記憶です。あんなに、こんなに苦手な梅雨の向こう側に、こんな気分がある事に改めて気が付きました。気だるさの心地良さとでも云うのでしょうか。そして、たぶん、わたしは、どちらかと云うと、気だるく、物憂げな少女だったのでしょう。そして、それを内包しつつ大人になって、今でも、そんな気分を大切に、絵を描いたりしているのかも知れません。
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