
面白いもので、言葉はコミュニケーションの度合いによって内容が変わってくる。お互いを知り尽くした関係では、ユーモアはもちろんブラックユーモアまでも楽しめる、という不思議な生き物だ。日本人はこれらのセンスに欠けると言われるが、私が経験した例をご紹介する。
以前、ある会社で講演したときのこと。司会の部長が私を何度も「ひろせみちこさん」と紹介した。私の名は「くみこ」だ。“何たること!”と不愉快に思ったがそれを押し隠し、にっこり笑って壇上に立った。90分の講演が終わると先の部長が登場し、おもむろに言うではないか。
「最初にお名前を間違え、本当に失礼しました。実は、講演の前に広瀬さんのお姿を拝見していたら、美智子妃殿下とイメージが重なりまして、つい『ひろせみちこさま』と申し上げてしまいました。申し訳ございません」
会場は爆笑に包まれ、私も内心“うそばっかり”と思いつつ、「うまい!」と叫んでしまった。不愉快さや険悪になりそうな雰囲気は、抜群のユーモアで見事に吹き飛んだ。そのセンスに部長がえらくいい男に見えたものだ。
もう一つは、夫が脳内出血で8カ月間休職したのち、回復して無事出局したときのこと。よほどうれしかったのだろう、毎日の帰宅が夜の11時を越えた。周囲が驚いて、「早く帰れ」「また倒れたらどうするのか」と迫ったが、一向に改まらない。とうとう私は一言“ブラック”の方を“カマ”した。
「あのね、ロウソクの灯や電球が切れる前は、とっても明るくなるのよね」
翌日、彼は明るいうちに帰ってきたのだった。これは相手とのコミュニケーションがかなり深い場合に有効である。
ユーモアやブラックユーモアは、相手への心遣いをこめて使えば最高の潤滑油。お互いの人生をも変えることが出来るのだ。言葉は、誰もが持つ磨きすぎることのない『宝石』である。大いに磨いて素晴らしい人生を楽しもう!
|