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晩秋の夕暮れ、空が一面、茜色に染まる中にくっきりと富士の山が浮かび上がります。
私の部屋から見える景色です。
東京ですから、富士は夕陽を背に黒く浮かび上がってみえるのですが、それでも広い空を雄々と流れる雲を背景にした富士の山は格別に美しいのです。
富士山自体も美しいけれど、実は囲(まわ)りの季節折々の自然の背景がとても重要な役割をしていることに気づかされます。
私の家は少し郊外ですから、近くには鎮守の森や竹林があり、ベランダからは向かいの家の大きな柿の木が見えます。おいしそうに色づいた実を、鈴なりにつけています。
秋の初めには、どこからともなく甘い金木犀のかおりがしていました。本当に、自然ほど人の心をいやすものはありません。
こうして季節が巡る度に、時の流れの速さになぜかふと感傷的になってしまうのも、秋深い今だからでしょうか。
木々も少しずつ色づき、紅葉の美しい日本になります。散り行く前の一瞬、その命を燃やしつくすかのように紅葉する木々の葉が、山々を錦繍で埋めつくします。この美しい秋が好きな人も多いことでしょう。
さて、西洋化してしまった現代、どこの家を訪ねても、ほとんどがコーヒーでもてなしてくれます。見方を変えると、緑茶を出してくれる家が少なくなってきたわけですが、栄西禅師が日本にお茶を伝えて以来、日本人とお茶は切っても切り離せない関係です。
私の生家では、庭にもお茶の木があり、八十八夜には、祖母が萌黄色の新葉を摘んでお茶にしてくれたものです。その芳ばしい香りは今でも忘れられません。
茶道では十一月には炉を開いて、「口切の茶事」をいたします。「茶人の正月」とも申します。その年の新茶の入った茶壷の封を切り改めて、ひらく茶事のことを申します。
半年間、茶壷に熟成されたお茶の葉は、その場で心をこめて茶臼(うす)で碾茶(ひきちゃ)にいたします。
鮮かなエメラルド色の粉抹が、茶杓からこぼれ落ち、美しい香り高いお茶の一服に生まれ変わった瞬間と、茶碗を手にした温かさと、そして、一口ふくんだ時の甘露の至福は、この口切りの時にしか味わえない、心改まった美しく恒久的な一時でしょう。
秋深いころは、灯が恋しくなります。茶道の心得のない家庭でも、ろうそくの灯のもとで、一服の茶を家族団らんで楽しんでみましょう。
改まった儀式がなく、けじめのなくなってしまった現代の日本だからこそ、日本人としての誇りや格式を大切にして、その奥底に潜む精神性や感性を次世代へ伝えてゆきたいと思います。
親子間でも、ただのなれないになり、相互で尊敬、敬愛する心に欠けてしまっています。それは、こういう日本独特の改まった儀式がなくなってしまったことも、原因のひとつだと思います。
普段の何気ない生活の中に、時々、改まった場を演出することは、やはり、美しい姿を作ってくれることだと思います。
真萩散る庭の秋風身にしみて
夕日の影ぞ壁に消えゆく 永福門院
和遊主宰・正冨るり子 |