
私が始めてAIDSという言葉に触れたのは、中国への語学留学を決めた20歳の時でした。中国の1年間の滞在ビザを取得するにはHIVの抗体検査が義務付けられており、当時は、AIDSがどんな病気かよく知らず、また抗体検査をする医療機関もほとんどなく、車で2時間もかかる県立病院で検査を受けました。
留学中はいろんな国の人と出会い、そしてアメリカ人の恋人もできました。その後、インドなどアジアの国々を旅行し帰国してから、東京で、昼は会社員、夜は大学生という生活を送っていました。ちょうどその頃、血液製剤でHIVに感染した血友病患者のことが大きな社会問題になり始めていました。ある雑誌のAIDS特集の記事を読み、「感染しているのではないか」と急に不安になったのです。それは1991年、私が24歳の時でした。
HIVの感染経路は、感染者とのコンドームなしのセックス(膣・肛門性交、相手の性器を直接舐める)、麻薬注射の回し打ち、輸血、母子感染(胎内・産道・母乳)です。行為によって感染率は変わりますが、感染率は100パーセントではありません。心配な行為があってから3ヵ月後にHIV抗体検査を受ければ感染しているかどうかがわかります。そして感染の有無は外見や症状では決してわかりません。
私は早速抗体検査を受けに行きました。恋人とは避妊とセーファーセックスを心がけており、結果は陰性(感染していない)。それなのに不安を拭い去ることができず、再度検査を受け、それさえも信じられず、感染しているかもしれないと悩み続けたのです。
私がそんな状態になってしまったのはいくつか理由がありました。
私を含め社会全体がAIDSに対して差別と偏見があったからです。当時AIDSに関する記事の多くは、「感染者は、同性愛者、外国人、外国帰り、外国人とセックスをした人、不特定多数とセックスをした人」、「感染したら職も家族も失う」というAIDSに対し恐怖心をあおり差別と偏見を助長するような内容でした。私はそんな記事を読み、「外国帰り」「恋人が外国人」ということを心のどこかでいけないことのように思い、自分が差別される対象になることを恐れ、AIDSのことが頭から離れなくなっていったのです。現在でも、恋人や配偶者がまじめそうな人で、その人一筋だったら感染しないだろうと、多くの人が思っているのではないでしょうか? ウイルスは人を選びません。
また、現在はそうではありませんが、当時は検査時のカウンセリングはほとんどなく、検査機関で私の不安を誰かに聞いてもらうことはできませんでした。
AIDSは免疫力が低下しさまざまな病気になる状態のことです。免疫力が低下すれば風邪を引きやすく、熱っぽかったり、リンパ腺がはれたりします。そんな症状があるからと言って感染しているということにはなりません。しかし風邪気味で感染を心配している人が「感染者は風邪を引きやすい」という部分だけを読めば、自分もそうなのでないかと思うでしょう。まさに私がそうでした。「病は気から」という言葉があるように、私は悩むばかりに体調がすぐれず、感染しているからに違いないと思い込んでしまいました。
また、どんな病気でもそうですが、疑いだしたらキリがありません。私はもともと疑い深く、神経質なところがありました。本当に自分はセーファーセックスをしていたのかと考えたり、ありとあらゆる疑う理由をみつけては、不安になっていたのです。
AIDSのことが頭から離れず、AIDSに関する記事はできるだけ目を通していました。その中の一つに「AIDSに関する電話相談員のボランティアが足りない」という記事を読み、早速そのボランティア団体に電話をしました。もちろん誰かの役に立ちたいという気持ちもあったのですが、それ以上にAIDSのことをもっと知って、自分の不安を取り除きたいという気持ちがあったのです。
私は事前研修を受けた後、週に一度、AIDSに関する電話相談員をするようになりました。
*HIV・AIDSに関する詳しい情報は以下のサイトをご覧ください
HIVと人権・情報センター
http://www.npo-jhc.com
HIV検査・相談マップ
http://www.hivkensa.com/index.html
*参考書籍&ウェブサイト
『知っていますか?AIDSと人権一問一答 第3版』
(屋鋪恭一・鮎川葉子著 解放出版社) |