女の生き方ファイル

こころの自立

寂しいアリス 32歳

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大げさな事じゃないかもしれない。
第三者として観たら、私のしてきた事は「なんて馬鹿げたことなの」と、
思われるかもしれない。
いい歳をして、結婚にも踏み切れず(お見合いという行為自体すごく拒絶をしていた)、仕事で一人立ち出来るほどの技術も身につけられなかった。
簡単に言えば、親離れが出来ない馬鹿な女である。

両親は共働きで、父親は子育てに関心なしの人。
母親は一人で家を切り盛りし、何時もキーキー怒ってばかり。
子供心に申し訳ない、迷惑をかけたらいけないと考えて、いつの間にか何にも話さない子供になってしまった。
その割にはしかられて、殴られてばかりいたから、大人になっても母親は怖くてたまらなかった。
少しでも怒り出すと手が出てくるんじゃないかと、つい最近まで自分の顔を守る仕草をしている事に気がついて、愕然とした。
甘えられなかった分、感情を押し込めて我慢したのがいけなかったのかもしれない。
いじめられても、我慢をして学校にいったものだ。

24歳くらいから無理やりにお見合い攻撃に遭い始めた。
自分の感情さえよく理解できず、私は切れてしまった。
泣いて泣いて抵抗した。
引きずられて行く。
「紹介をしてくれた人に悪いでしょう!」と。
本当は、世間から母親が酷いことを言われるのが嫌なのがわかっていたから、抵抗していたのだ。
(散々、関わろうともしなかったくせに、今頃なんだ!)
と、何時も憎しみをたぎらせていたものだ。
「育ててもらって、感謝しろ」「どれだけお金がかかってると思ってるの」
などと言われれば、
(生まれてこなければ良かったのか)
(だったら生むなよ)
と、心の中で言えても本人には言えない。
私のこの世に存在している意味が知りたくて、習い事をしたり、資格を取ってみたりもした。
でも、根本的な部分がしっかりしていないと、人間は生きていけないんだなと痛感した。
丸ごとの自分を受け入れてくれているという、安心感。
私がずっと欲しかったもの。
愛情とかそういうものじゃなくて、一人の人間として『尊重』されたかったんだ。
自分を苦しめることが、母親を始め世間に対する仕返しと思っていた。
はっきりとそう意識をして生きてきたわけではない。
こんなに苦しい思いをして、仕事に行き、苦労ばかりをするのは、生みたくもない子供を生んだ親の責任だ。
だから苦しむのは当然でしょうと心のどこかで何時も感じていた。

最近、松井計さんの「ホームレス作家」という本を読ませて頂く機会があった。
松井さんがホームレスになったのは、どこか世間の責任と考えているところがあった。
でも、妻や娘、生まれてくるもう一人の子供を施設に預ける事になったのは自分の責任であると、書いていた。
私も、苦しいのは自分が今の状況を選び、自分で追い込んでいるからだとはっきり意識した。

今の私は、私に責任があると思うと、物事の全てを他人のせいと言えなくなる。
言いたいことを言っていられることの幸せも感じた。
他人のせいにすれば楽。
でも、自分に言い訳をしたこととなるのでどこか苦しさも感じるもの。

そう考え出したら、少しは苛立ちが少なくなり、周りが見え始めた。
視野が広がったということなのか。

それでも相変わらずの日々。
いつか、運命が動く時が来るのだろうか?
やっぱり、年を取ることの大変さを、最近身にしみて感じてしまう。

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