女の生き方ファイル

結婚〜私の決断

佐原由起 31歳

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昨年3月に主人の転勤で札幌に越してきた。私たちの家族構成は主人と3歳の娘と私、そしてお腹にもう一人、6月に誕生する。毎日ごく平凡な主婦を送っている私だが、生まれも育ちもタイのバンコクである。南国生まれには厳しい北海道の冬だったが、なんとか周りの方々に教えてもらいながら生活を送っている。
日本に来たのは平成元年。いきなり寮生活が始まり、いつも誰かがそばにいる状態が1年8カ月間続いた。その生活は、私にとっては大きな転換期だったような気がする。食事、気候そして日本人独特の人間関係も合わず毎日がただつらいだけだった。

でも「法華経」と「開祖さま」が私の心を大きく変えてくれた。自分のこれまでの生活の固定観念を少し変えることで気持ちも楽になり、「日本に来たのだからそれに合わせていけばいい」と前向きに頑張った。決して楽ではない。漢字もろくに読めない、東京の水が合わず顔が発疹だらけ、お米がおいしくない、などごく普通のことにも壁を感じる毎日だった。

でも、そんな時一番救われたのはよい同僚に恵まれたことだった。今は本当にみんなに感謝している。その後、私は立正佼成会の本部職員の道を選んだ。そして7年間海外布教課という部署で勤務した。そこでは大勢の海外の信者さんとふれあい、それぞれの国の文化、習慣、言語などに対応しながらの日々を送った。そこで、同じ課にいた主人と出会い、結婚を決めた。結婚までの決断は私自身、息の詰まるような決断だった。いずれ仕事を辞め、タイの実家に帰ることを考えていたからである。

両親とも話し合い、あとは私自身の決断だけだった。いまひとつ戸惑わせていたのは、言葉の表現の違いだった。よく主人に「傷をつけるような言い方」や「はっきり言い過ぎる。言葉を考えて言え」など、かなり注意されていた。それは私の性格かもしれないが、日本に来るまでは自己主張をしていかないと生きていけない生活だったという理由もある。冗談も日本人にはかなりきつく感じるらしいが、それが普通だった。ほんとうの人生のパートナーだと感じたのなら、条件に惑わされずにこの人と結婚しようと決めた。

結婚してみると、お互いに片目をつぶるときもあった。さらに、子どもが産まれ、子育てとの格闘。そこへ主人の両親との関係。謙虚になれない私は、子どもに対する姑の態度に不満を持っていた。私と主人の子どもなのに、という気持ちが強かった。しかし考えてみれば大好きな主人を生み育ててくれたのは、舅や姑なのだな、と思うと、少しは楽になった。

これまで、社会へ出てバリバリ仕事をこなす女性はすごいな、と思っていたが、子育てや家庭を切り盛りする女性もすごいと思うようになった。私たち家族は信仰を中心にして生活を送っているが、そのおかげで多少の苦難もドンと来いという気持ちでいられるのかもしれない。一生懸命子育てに集中し、出張の多い主人が安心して仕事に集中できるよう留守を預かるのが、今の私の役割だと思う。

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