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その日から「人は死ぬのだ」ということが、日常の現実として私に突きつけられた。事故、病、天変地異。人はあっけなく姿を消す。他人ごとだったテレビ番組やニュース一つ一つに鳥肌が立ち恐怖が消えなかった。夜眠っていると目が覚め、心臓がドクドクと音を立て、締めつけられるような痛みとともに冷や汗が吹き出す。自分も、家族も、あるはずの幸せが今すぐになくなることだってある、という恐怖。
そして半年後、友人がある母子を伴ってやって来た。私は子育て相談のボランティアをやっていたので、話を聞いてやってほしいということだった。ところがその5日後に、母親は心中を図り、幼児だけが亡くなってしまった。

“自殺のサイン!”−−初対面の私のところにやって来るほどギリギリのところにいたのに、気づかなかった。悔しく、いくら泣いても頭が変になりそうだった。助けてやりたくても助からなかった我が子の命。助かったかも知れないのに助けられなかったあの子どもの命。6年間も子育て相談員を続けてきた自分が情けなかった。何が相談だ! 善意だけで人の話など聞けない。知識もなく責任も引き受けられないのによくもやって来たものだ、と自分を責めた。苦しかった。
人は、私に「早く元気になって」と言ったが、前の自分には戻りたくないし、戻れないことも分かっていた。この苦しみにまみれて自分を見つめ直すことだけを考えていた。人との付き合いを断って、独りで本を読み、自分の心に向き合った。心理学の書から得たものは大きかった。

ある日、道を歩いていて自分の影を見た。ふと、自分の恐怖や不安はこの影なのだと思った。この影の中には恐ろしい暗さで何かがうず巻いている。しかし、影は自分の大きさしかなく、影の外は明るい陽光で満ちている。自分には、恐怖がこの世を覆っているように思えたが、そうではなくどんな深刻な苦しみも、私の大きさ分の影の中の出来事なのだ、と。そして、人の話を聞くために、知識と技術を身に付け責任を負えるようになるために、2001年4月から、私は大学で心理学を学んでいる。 |