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21歳の時から母親の仕事の手伝いを始めました。平日は休むことなく働き続けましたが、ある時、背中に異物感を感じ、病院に行くために仕事を休ませて欲しいと母親に相談しましたが、「ただの脂肪の固まりだ! 大丈夫! 今が一番忙しい時だから休めない」と言われてしまいました。結局、知り合いの人が母親を説得してくれ、近所の病院で検査をしたのですが、すぐに医大病院に行くように言われました。
「怖い・・・」
それからすぐに医大病院で手術を受けました。筋肉に出来る悪性の肉腫の摘出でした。今から7年前の3月6日のことです。それから始まった闘病生活。再発しないための放射線治療では、24時間打ちっ放しの点滴をしながら、さらに一日一回ハードな点滴があり、手がちぎれるかと思いました。
そんな中でも、母親の苦労や、私を心配してくれる気持ちは理解しているつもりでした。ただ、自分がしんどい時、話を聞いてもらいたい時に、今までに沢山あった頼りたい時に、頼ることができず、いつのまにか自分の中で諦めてしまいました。もう言っても無駄だ、と。

退院してからも家の仕事を手伝いました。外で働くと体力もいるし神経もつかうという、母親の優しさだったのだと受け止めていましたが、自分の中では納得がいきませんでした。
私は医療関係の仕事につきたかったのです。どんな事でも良い、私はお婆ちゃんやお爺ちゃんが大好きだから、ヘルパーの免許を取得しようと思い、がんばって勉強して数ヶ月で免許を取得しました。
好きな仕事が出来る、人の役に立てるという喜びに満ち溢れました。でも、「福祉の仕事がしたいから仕事を辞めたいの」というその一言で、母親を怒らせてしまいました。「親不孝者!」という母親の言葉が胸にやきつきました。

以前と同じ生活に戻り、不満の毎日が続いた数年後のことです。私は一人の男性と知り合いました。私は彼に救われたのです。今、家を出て一緒に暮らしています。
彼のお母さん、お婆ちゃんに仏さま、ご先祖さまの存在、ありがたさを教えていただきました。とても恥ずかしいのですが、それまで、私はお墓参りすら行った事がありませんでした。だから初めてお墓参りに行った時、正直、お墓の前に行っても何をすれば良いのかわかりませんでした。それでも、彼は笑う事なく自然に教えてくれたのです。すごく恥ずかしかったけれど、とても嬉しかったです。
私は、私の人生が、そこから始まったと思っています。彼と一緒に住んでる家で、毎日ご供養をさせていただく事が出来るようになりました。彼のお母さんのお陰です。
離れていても、毎日ご供養することによって、一緒にいるように気持ちが一つになれます。すごく嬉しいです。今、すごく幸せな毎日です。
時々、彼と彼の家族の優しさに溺れそうになって怖くなる時があります。「私は贅沢だ」と思ってしまいます。でも、そんなふうに思える瞬間が好きです。今の幸せをかみしめることができるのですから。

いつか子供が出来て自分が母親になった時、母親の気持ちを理解出来る日が来ると思います。その時に、産んでくれた事への感謝と今の幸せを、母親に伝えられる事が出来たら良いなっと思っています。 |