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弟がうまく周囲の環境に適応できなくなったのは高校からだった。中学時代から勉強が不得手で成績は下の中くらいだったが、家族が驚くほどがんばって進学校に受かった。学校に通えなくなったのはそれからまもなくのこと。母は原因を聞き出そうとしたり諭したりしていたけれど、何も変わらなかった。私はそのころやっと仕事に慣れてきたばかりで、母の愚痴の相手も弟へのかかわりもおざなりだったように思う。
そのうち、まる一日部屋に閉じこもるようになってしまった。「彼にいづらさを感じさせてしまったのは、家族かもしれない−−」。私はやっとそのことに気づき、家族みんなで弟に向き合うようになった。
弟は当時、ほとんど自ら話すことがなかったので、私はよく仕事の愚痴やら本の感想やらを聞いてもらいにちょくちょく部屋へ行った。ふいに、<なんで俺生きなきゃいけないの>と、哲学的な疑問を投げかけられたりすると、(私だってわかんないよ〜)とオタオタしながら一緒に答えを探してみたりした。そうして3年が過ぎ、なんとか高校を卒業した。大学に行きたいと浪人生活も送り、少しずつ外の世界に興味を持てるようになってきた。でも、オーストラリア滞在の話は、本人も思いつきじゃないかと思うくらいとうとつだった。一番仲のよかった、弟と5つ違いの兄がヒントを与えてくれたようだった。

バイトを始め資金を貯め、周囲の不安と反対をふりきって半年後に出発した。ホームステイ付きの語学学校だからと安心していたが、突然現地の学友と共同生活をはじめた。日本料理屋のバイトを見つけたが、もっと言葉を学びたいからとネイティブばかりのカフェの厨房で働くようになった。たくさんの友だちに誕生日を祝ってもらったこと、料理をおぼえたこと、勉強したい分野が見えてきたこと……。電話の声はどんどん明るくなって、「お母さんが心配だなあ」なんて、一度も聞いたことのないようなことを言える余裕がでてきた。
本人の当時の心境の変化は想像するしかないけれど、この数年間の経験の重さを一番感じているのは彼自身だろう。偉くもすごくもならなくたっていいけれど、学んで内面を成長させていく様子が自分のことのようにうれしい。ちょっと押したら倒れてしまいそうなくらい華奢だった弟だが、いまはどんな風だろう。出発した時と同じように家族全員で空港で出迎えたいね、と話しているこのごろである。 |