◆全盲のケニア人指圧師
◆世界初! 女性
ニャティティ奏者
◆虐殺と病を乗り越えて
◆スラムの人々の命を看続けて
◆日本食材店を切り盛りするシングルマザー
◆紅茶農園の女主人
◆ストリートチルドレンと共に
◆HIV感染者でAIDS活動家
◆国際協力NGO職員
カズリビーズを作る
ママたち

戸倉由紀枝

会社員を経て、HIV・AIDSに関するボランティア団体で3年間ボランティア活動に参加。引き続き専従スタッフとして電話相談や感染者へのケア・サポートなどを行なう。その後、旧ユーゴスラビア、ルワンダ、カンボジア、東京で国際協力NGOに勤務。2006年10月より夫の勤務先であるケニア・ナイロビに在住。

 

生き方ファイルスペシャル
「自分にできること〜HIV・AIDSボランティアを通して」

元気充電旅日記 番外編
「夫婦水入らずのエジプト旅行」

輝く女性たち アフリカレポート

自分の生きがいを見つけた女性は、体全身からパワフルなオーラを発しています。
遠いアフリカで生きがいを見つけ、活躍している女性たちを紹介します。

pointストリートチルドレンと共に 松下照美さん 61歳

photo 東京で反核・平和活動、徳島の小さな村で陶芸家として創作活動、夫の死、そして48歳でアフリカへ渡った松下さん。松下さんは、ケニアを終の棲家と決め、モヨ・チルドレン・センター(モヨとはスワヒリ語で心、魂、精神)を主宰し、ストリートチルドレン、孤児たちへの支援活動を行っています。


●活動を開始するまでの道のり

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孤児院の前に立つ松下さん、孤児院は自宅兼事務所から歩いて数分の場所にある借家

松下さんは元々アフリカに興味があったわけではない。大学卒業後はご主人の武さんと共に反核・平和活動に取り組み、その後、松下さんの故郷である徳島へ移り住んだ。自然に囲まれた小さな村で、創作活動をしながら静かに暮らしていたが、1992年、突然、武さんが交通事故で亡くなってしまう。松下さんは心にポッカリと穴が空き、これから何をしたら良いのだろうかと思いあぐねた。そんなとき、アフリカ行きの話が舞い込んだのだ。
ある障がい者団体が、ウガンダの子どもたちのために活動するNGOを支援するため、現地に調査団を送ることになった。松下さんは調査団に同行しウガンダに渡る。調査後もそのNGOでボランティアとして2年間働いた。
その後、自分のやり方で子どもたちと関わって行きたいと思うようになった松下さんは、体調を崩したことをきっかけに、隣国ケニアのナイロビに移り住む。そこで子どもたちへの支援活動を本格的に行うために、英語学校に通いながらNGO登録の申請を始めた。慣れない作業、そして役人からの賄賂要求に一切応じなかったこともあり、登録まで2年間もかかった。

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現在、8人の孤児が暮らしており、ケニア人スタッフが昼夜交代で寝泊りする

ところが、NGO登録が終わり、これから本格的に支援活動を始めようと思った矢先、松下さんは脳梗塞で倒れる。左半身が麻痺し入院したが一向に回復しないため、帰国し緊急手術を受けた。あと2日帰国が遅かったら命を落としていたと医師から言われた。
懸命にリハビリに励み元気になった松下さんは、ケニアに戻るなら命の保証はないという医師の言葉を振り切り、再びケニアへ渡る。そして、ナイロビから車で約1時間の場所にあるティカ市に事務所兼自宅を構え、スタッフを雇い支援活動を開始した。

●ストリートチルドレンに関わる覚悟

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おもちゃの飛行機を飛ばして遊ぶ子どもと松下さん

まず、松下さんが始めたのは、スラムの学校支援や貧しい家庭の子どもたちへの奨学金の支給だった。当時、ティカ市内だけでも約200人の子どもたちが路上での生活を強いられていたが、半端な気持ちでは関われないと思っていた。そんなとき、市内にあるスタジアムで週に一度、ストリートチルドレンに昼食を提供していたルワンダ難民の女性から、帰国するため支援活動を引き継いでほしいと依頼されたのだ。
それがきっかけとなり、松下さんはストリートチルドレンへの支援を行うようになった。週五日、昼食を提供し、スタジアムで子どもたちが勉強やサッカーをできるようにし、そしてスタジアム以外でも子どもに声をかけた。
ストリートチルドレンに関わることは、シンナーとの戦いだ。ケニアで食パン一斤が日本円で約40円。一方10円あれば2、3日分のシンナーが購入できるし、シンナーを吸っている間は、空腹も辛い事も忘れられる。

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孤児院で子どもたちと一緒に食事をする松下さん。栄養たっぷりのおいしい食事

松下さんは、シンナーと交換で食事を提供することを子どもたちと約束し、受け取ったシンナーを子どもたちの目の前で燃やした。食事ができるのであれば、空腹を癒すためのシンナーは必要なくなる。次第に子どもたちからの信頼が得られるようになり、シンナーを止める子どもたちが増えてきた。シンナーの売人からの嫌がらせもあったが、松下さんは毅然とした態度で一歩も引かなかった。
時には子どもたちに散髪もした。小型バスを借り切って皆で動物園に行った時には、子どもたちは歓声を上げ、宙返りをするほど喜んだ。一方で、路上生活の大きな原因でもある親たちへの、小規模貸付などの生活支援も行った。2005年には、親のいないストリートチルドレンに、生活できる場を提供しようと事務所近くに家を借り、子どもたちを受け入れ始めた。

●この世で自分の役割がある限り

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現場担当スタッフのジェリさんは夜間の専門学校で心理学を学でいる

日々様々な問題が発生し、子どもたちへの対応には悩むことばかりだが、これまで60人以上の子どもたちが路上生活とシンナーを止め、復学している。
より多くの孤児に支援ができるようにと、来年には孤児院の建設に着手する。活動を始めた当初、活動費は全て松下さんの持ち出しだったが、現在では、活動費の約三分の二は日本の支援者からの寄付で賄われるようになり、小数だがケニア人の支援者も出てきた。孤児院の建設費は募金で3分の1の額が集まっている。
孤児院建設後はさらに、ストリートチルドレンのリハビリ施設を建設し、ケニア人スタッフに全面的に運営を任せたいと考えている。そして、アフリカで最初に関わったウガンダの子どもたちへの支援もずっと続けている。松下さんの願いは果てしなく広がっている。まだまだ資金が必要だ。

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孤児院建設の資金集めのためスポンサーを募りナイロビマラソンに参加。孤児院の子どもたちと松下さん全員が10キロコースを完走した

アフリカで子どもたちと関わるようになって13年。強盗、病、シンナーの売人からの脅迫、ストリートチルドレンの死、いろんなことがあった。しかし、どんな時でも子どもたちを守ることが先決で、怖いとか活動を止めようと思ったことはない。 
「どんな人であっても生がある限り、この世で何らかの役割があるのでしょう。夫の死後、私を必要としてくれる子どもたちに、私はアフリカで出会った。だから、私の役割が終わるまで、この地で子どもたちと共に生きて行くのだと思います」

松下さんのブログ
http://teru.moyo.jp/

「モヨ・チルドレン・センターを支える会」WEBサイト(寄付先)
http://moyo.jp/kaisoku.htm

 

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