◆全盲のケニア人指圧師
◆世界初! 女性
ニャティティ奏者
◆虐殺と病を乗り越えて
◆スラムの人々の命を看続けて
◆日本食材店を切り盛りするシングルマザー
◆紅茶農園の女主人
◆ストリートチルドレンと共に
◆HIV感染者でAIDS活動家
◆国際協力NGO職員
カズリビーズを作る
ママたち

戸倉由紀枝

会社員を経て、HIV・AIDSに関するボランティア団体で3年間ボランティア活動に参加。引き続き専従スタッフとして電話相談や感染者へのケア・サポートなどを行なう。その後、旧ユーゴスラビア、ルワンダ、カンボジア、東京で国際協力NGOに勤務。2006年10月より夫の勤務先であるケニア・ナイロビに在住。

 

生き方ファイルスペシャル
「自分にできること〜HIV・AIDSボランティアを通して」

元気充電旅日記 番外編
「夫婦水入らずのエジプト旅行」

輝く女性たち アフリカレポート

自分の生きがいを見つけた女性は、体全身からパワフルなオーラを発しています。
遠いアフリカで生きがいを見つけ、活躍している女性たちを紹介します。

point紅茶農園の女主人 フィオナ・バーノンさん 60歳

photo ケニアで生まれ、ケニアで育ったイギリス系ケニア人のフィオナさんは、祖父の代から続く紅茶農園の女主人。植民地時代の紅茶農園は姿を変え、今はナイロビの観光スポットとなり、フィオナさんは日々多くの観光客を受け入れている。


●植民地時代から続く紅茶農園

photo

バナナの丘に広がる緑色の茶畑

紅茶栽培はケニアの主要産業の一つであり、ナイロビから車で30分も走れば、美しい緑色の茶畑が広がっている。フィオナさんのキヤンベツティーファームは、ナイロビ近郊のバナナの丘と呼ばれる地区にある。愛らしい花々が咲くイングリッシュガーデンとかわいらしい家。芝生の上には犬が気持ち良さそうに寝そべっている。家の中には長年愛用され続けてきたアンティーク家具が置かれ、家族の写真が並べられている。庭師、料理人など何人ものケニア人が働いており、それはまるで映画で見たイギリス植民地時代のアフリカだ。

photo

茶摘をする人々

このキヤンベツファームは、欧米の観光ツアーに組み込まれていることもあり、世界中から観光客が訪れ、訪問者数は月平均200名、多い時で400名にも上る。
観光客たちは、紅茶とお手製のクッキーを頂きながら、フィオナさんからキヤンベツティーファームの歴史、お茶についてのレクチャーを受ける。そして、長年キヤンベツティーファームで働くケニア人男性の案内で、周辺の森と茶畑を散策する。散策した後は、猿やカメレオンがいる美しい庭でレモネードやビールを飲んで一息ついて、そしてフィオナさんとご主人のマーカスさんを囲んで、イギリス風のランチを取る。希望すれば、宿泊することもできる。

●紅茶栽培を始め、教会、女学校を作った祖父

photo

キヤンベツファームはまるでイギリスの田舎のよう

フィオナさんはケニアで生まれたケニア国籍を持つイギリス系ケニア人。そして、祖父の代から続く紅茶農園の三代目の女主人だ。
ケニアは、19世紀後半からイギリスの東アフリカ会社による統治、通商が始まり、同時に数多くのイギリス人入植者がやって来た。そして、入植者は町を作り、森を開墾し、お茶やコーヒーの栽培を始めた。フィオナさんの祖父マクドネル氏もそんな入植者の一人だった。
1906年、マクドネル氏が34歳の時にイギリスからケニアに渡り、1910年にイギリス政府からバナナの丘の350エーカー(約1.4キロ平方メートル)の土地を購入する。現在の通貨に換算すると1エーカーがわずか4ケニアシリング(日本円で約8円)。

photo

観光客にお茶のレクチャーをするフィオナさん

当初、マクドネル氏はコーヒー栽培を考えていたのだが、2100メートルと標高が高すぎコーヒー栽培に適さないことがわかり、紅茶を栽培することにした。マクドネル氏が始めた紅茶栽培は、東アフリカで最初の本格的な紅茶栽培となった。
マクドネル氏は紅茶栽培だけでなく、教会を建設し、4人の娘の教育を考え女学校を作った。現在その女学校は、500名のケニア人の女生徒が通う公立のリムル女子高等学校となっている。4人娘の長女であるエバリンさんが紅茶農園を受け継ぎ、そしてフィオナさんを始め3人の子供が生まれた。
紅茶農園の運営は順調だったが、1963年のケニア独立後、独裁政権が続き、ケニアの将来が不透明だったため、フィオナさんの両親は1978年に茶畑の多くをケニア人に売却し、商業用として紅茶を栽培することを止めた。

●ケニアで生まれ、ケニア人としてケニアで生きる

photo

キヤンベツファームで働くケニア人の案内で散策へ

キヤンベツティーファームに観光客が訪れるようになったのは、茶畑を売却し新しい商売を始めようとしたからではない。フィオナさんの母、エバリンさんの従兄弟がケニア空軍で働いており、彼の同僚たちが休みの日に、キヤンベツティーファームに遊びに来たことがきっかけだった。キヤンベツティーファームのことが口コミで広がり、観光客が訪問するようになったのだ。
フィオナさんは、母と同様に、祖父が設立した女学校で教育を受け、ケニアで仕事をし、ケニアで出会ったイギリス人男性と結婚し、二人の子どもを授かった。ご主人の仕事の関係で、ケニアの地方都市で暮らしたこともある。両親が年老いて、フィオナさん家族は、両親の許に戻り、同じ敷地内に一緒に暮らすようになった。

photo

フィオナさん夫妻を囲んでランチ、
地元のおいしい野菜をふんだんに使っている

両親が亡くなり、約33エーカー(約0.13キロ平方メートル)の土地と家屋を譲り受け、そして母がしていた仕事も自然と引き継いだ。フィオナさんは人前で話すのが苦手だったため、当初は母の代わりに観光客の前で話をすることが怖かったという。しかし今は慣れ、いろんな国の人との出会いを楽しんでいる。

フィオナさんはイギリスを何度か訪れたことがあるが、イギリスを故郷だと思ったことは一度もない。ケニアで生きてきた中で、ケニアが独立する時に怖い思いをしたことは特になかったし、旧宗主国の人々の、被植民地側に対する差別も、特別感じたことはないという。それは、フィオナさんがそう感じるだけかもしれないが、「私はケニア人であり、私が生きて行く場所は、今までもこれからもケニアだ」と言い切るフィオナさんにとって、旧宗主国、旧被植民地という感覚はないのかもしれない。

photo

フィオナさんの祖父マクドネル(AB McDonell)氏

いつまで続けられるかわからないが、フィオナさんはこれからもご主人とともに訪問客を受け入れ、ケニアで暮し続けていきたいと思っている。

 

 

キヤンベツティーファーム Kiambethu Tea Farm
Tel: +254-(0)729-290894, E-mail: kiambethufarm@gmail.com

 

Page up

 

Copyright (c) 2001-2007 Rissho Kosei-kai. All rights reserved.