スラムの人々の命を看続けて フリーダ・エナーネさん(60歳)
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フリーダさんは、東アフリカ最大のスラムに、私財を投じ診療所を開設した看護士さんです。今なお、スラムの人々のために診療活動を続けています。 |
●何かしたいという思いから
キベラは、ナイロビにある東アフリカ最大のスラム。そこには約100万人の人々が暮らしているとも言われ、その数はナイロビの人口のおよそ半数にあたる。スラムでの生活は厳しい。路上にはゴミが散乱し、雨が降れば道端の溝から汚水が溢れる。衛生状態は非常に悪く、腸チフス、赤痢などの感染症の大量発生も頻繁に起きる。貧困のため病気になっても多くの人々は医療を受けることができない。そんなキベラの人々に低料金で医療を提供しようと、一人のケニア人女性が奮闘している。それがフリーダさんだ。
フリーダさんは、1947年にウガンダ国境に近い村の、農業を細々と営む家庭に生まれた。裕福ではなかったため、近所で農作業の手伝いをして学費を稼ぎ高校へ進学。卒業後は看護助手をしながら看護士と助産士の資格を取得した。それから30年間は軍の運営する病院で働いた。結婚し、3人の子どもにも恵まれ、ナイロビ市内に家を持つまでになった。
1978年に、自宅を担保に銀行から借金をして、キベラに土地を購入し長屋を建てた。当時は副収入を得るのが目的だったが、金儲けのための偽者の医者が多く、住民は病気になってもきちんとした医療を受けることができないことを知り、1995年にスラムの人たちのための診療所を始めた。いつかは貧困に苦しむ人々のために何かしたいという想いを抱いていたフリーダさんは、その悲惨な医療環境から目を背けることができなくなったのだ。
診察費は、スラムの人々でも払えるよう安い金額に設定し、お金がない人には「ある時でいいから」と言って積極的に診療にあたった。そんなフリーダさんの診療所には一日に100人以上の住人が受診するようになった。一般外来、出産、HIVの抗体検査、カウンセリングなど医療活動だけでなく、スラムの若者や女性たちが自立して生きていけるような互助システムを作り、定期的に研修やミーティングも始めた。
●乗り越えられるから試練があると信じて
夜のスラムは物騒だ。店構えのしっかりした商店、事務所などは強盗の標的となる。フリーダさんの診療所もこれまで3度、強盗と空き巣の被害に遭っている。
1998年5月のある晩、40人の強盗集団に襲撃され、文字通り何もかも奪われ、当直の看護士は怪我を負った。新たに診療器具を買う資金がないため、診療再開の目途が立たず、敬虔なクリスチャンのフリーダさんもこの時ばかりは、神の存在を疑った。
しかし、それから数日後、新聞でこの強盗事件を知ったオランダ大使館の職員から電話がかかり、驚くような額の寄付の申し出があったのだ。また友人らの助けもあり、フリーダさんは新たに診療器具を購入し、事件から2週間後に診療を再開することができた。
「あの強盗事件は私への試練であり、乗り越えられることを神様は知っていたから、試練を与えられたのでしょう」、とフリーダさんは笑顔で当時のことを振り返る。
強盗事件を乗り越え、最近になってようやく診療所の運営が軌道に乗り始めたフリーダさんだが、今もあらたな問題に直面している。
ある国際支援団体が無料の診療所を始めたことで、開業当時一日100人以上いた受診者が、20人ほどになってしまった。フリーダさんは長屋の家賃収入があるから、何とか診療所を維持しているが、キベラにあるケニア人による良心的で低料金の診療所は、次々と廃業に追い込まれている。無料で受診できることは喜ばしいことなのだが、支援団体の診療所は来年には閉鎖されるという。
さまざまな問題が山積しているが、フリーダさんの医療に対する姿勢は一貫して変わらない。スラムの人たちのために必要なことをやり続けるだけだ。
●新しい命との出会いを支えに
以前にフリーダさんは、国際支援団体から高給を条件に働かないかと誘われたことがある。そんな話を断っても、キベラのスラムで活動を続けて行くのは、<自分がいなくなったら誰がこのスラムの人々を診るのか>という使命感と、助産士として新しい命に出会える喜びがあるからだ。
5年前、フリーダさん家族は、女の子を養女に迎えた。フリーダさんの診療所で出産した母親が、その子を置いて去ってしまったのだ。母親が戻って来ないため、一度施設に預けたのだが、女の子が病気になっていると知り、フリーダさんは自分が面倒をみなければいけないと強く思ったそうだ。
診療所には堕胎をしてほしいという女性が訪れるが、「いろんな事情もあるだろう、だけどせっかく授かった命なのだから、大切にしてほしい。問題があれば相談に乗るから一緒に考えよう」と、堕胎することを思い留まるよう説得する。
資金繰りは苦しく、充分な人数のスタッフを雇うこともできず、フリーダさんが理想とする診療所になるまでにはまだまだ遠い道のりだ。
「誰か適任者がいれば、診療所をまかせ、田舎で夫と農業をしながらのんびり暮らしたい」と言うフリーダさんだが、そうなるまでにはもうしばらくかかりそうだ。
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